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私もマイクを切っていたかもしれない

 今月1日、水俣病の犠牲者を追悼する慰霊式の後に、環境大臣と患者や被害者団体の代表者との懇談会が行われた。その際、被害者団体のメンバーが発言をしている途中で、制限時間を超過したとして環境省の職員がマイクを切ったことが問題になっている。

 問題が表面化した後、8日には伊藤環境大臣が懇談会のあった熊本県水俣市を改めて訪れ、関係者に謝罪をした。また、環境省に水俣病対策専属の担当を新たに設けるなどして体制を強化し、信頼回復に努めていくことを明らかにしている。

 水俣病は政府にとっての「負の遺産」であるとともに、環境省が創設される契機となった問題でもある。この懇談会も、最初は患者や被害者の声に対して真摯に耳を傾ける場として始まったのだろう。

 しかし、年月の経過とともに当初の目的は風化していく。現在の担当者たちの間では、懇談会が「恒例行事」「アリバイづくり」になり、開催すること自体が目的化していたのではないかと推察する。

 ・・・一方、担当者がマイクを切ったことを「言論封殺」だと憤っている方もいる。しかし、これには違った見方もできるように思う。

 TBSテレビの報道によると、懇談会で担当者が司会をする際に使用していた台本には次のように書かれていたそうだ。

台本には制限時間の3分が近づいた場合には、司会が「申し訳ありませんが、他の団体様のお時間もございますので手短にお願いします」と伝えたうえで、「3分でマイクオフ」とマイクの音を切ることが明記されていたことがわかりました。

また、台本には「長くなるようでしたら、失礼とは存じますが、途中でお声かけし、当方でマイクをオフにさせていただくこともあるかもしれません」とあらかじめ団体側に伝えるようにとの文言が準備されていましたが、司会が読み飛ばしたため、事前にマイクの音を切る可能性は団体側に伝えられていなかったということです。

さらに、台本には団体側から「時間を短くしたから後でしゃべらせろと言われた場合」と書かれていて、その際には「時間を見つつ対応させてください」などと回答するようにと書かれました。

 それぞれの患者や各被害者団体の持ち時間が「3分」ということや、「長くなるよう」なら「マイクをオフ」にするということの是非はともかくとして、この内容が事実だとすれば、担当者は台本どおりに行動をしていただけなのだろう。少なくとも、マイクをオフにした職員個人に「言論封殺」をしようとする意図はなく、職務を全うしようとしただけに違いない。


 私は教育委員会の事務局に勤務していたころ、教育長の出張に随行をしたことが何度かある。教育長ともなるとその予定は分刻みになっているため、常に次の予定を念頭に置いてスケジュールの管理をすることが随行者の務めだ。

 とりわけ、新幹線などの公共交通機関を利用する場合には、発車時刻から逆算をして行動をしてもらう必要がある。たとえば、訪問先の相手と教育長との会話が盛り上がっていたとしても、
「そろそろ、このあたりで・・・」
 と切り上げてもらったことは一度や二度ではない。

 ・・・これが一国の大臣ともなれば、そのスケジュール管理にかかる重圧はなおさらだろう。
「大臣が出席する会合を次の予定に合わせて終わらせる」
 ということも、官僚にとっての重要な業務なのだ。


 もしも私が、今回の懇談会でマイクの音量やスイッチを担当する係だったら、どのように行動することができただろうか? やはり同じように、マイクをオフにしていたかもしれない。

 ただ、その後に、
(いずれは、こういう懇談会の内容や時間設定を提案できるような立場になってやる)
 ということぐらいは考えていたのではないかと思う。

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