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案外イケるかも?縄文ファッション
天然素材のファッションアイテムで身を包み、
カメラ目線で決め込んでいるのは『十日町市博物館』の縄文人。
「縄文時代のファッション、どう?」なんて、言っているような⁈
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リュックもポシェットも
彼の背負っている大きな「編み籠」は、ヒノキなどの樹皮や山ぶどう・葛・アケビなどのつる、または竹を使って編まれたと思われるものです。
実はこのような「編み籠」が、縄文土器の発想のもとになったとも言われています。防水機能を高め、火に強く、腐ることがない…縄文土器は「編み籠」の欠点を全て補っているようです。
それでも、軽い、通気性が良い、手軽に作れる「編み籠」は今でいうなら軽量のリュック!
残念ながらその殆どは土に返ってしまい、あまり出土することはありません。
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この編み籠は「編み方」を違えた2重構造になっていて、かなり丈夫そうに見えますね。縄文時代には、こうした「編み方」の工夫がされていたと考えられています。
まれに沼地などから腐ることなく出土した「縄」や「編み物」から、いくつもの種類や、編み方があったことが分かっています。
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青森県三内丸山遺跡からは、『縄文ポシェット』と呼ばれる小さな編みかごが出土しています。イグサ科の植物で編まれており、首や肩から下げる工夫がされています。
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パンツを履いていた⁈
縄文時代の衣服の出土例はなく、その全体像は今のところは全く分かっていません。
唯一参考にできそうなのが、服のようなものが描かれた土偶です。
『パンツをはいた土偶』
パンツのようなものがしっかりと描かれ、まるで「どう?」と言わんばかりにポーズをとっている土偶です。
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このような土偶や縄文土器の文様などを参考に想像・復元がされているのが、このような縄文ファッションです。
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使われたと推測されます / 十日町市博物館
素材は所謂「麻」と呼ばれるもの。縄文時代に植物の茎から繊維を取り出したものを総称してそう呼ぶといいます。
これはイラクサ科の多年草「からむし(苧麻)」。
「麻」というとゴワゴワしたイメージですが、とても滑らかでツルツル。微かに光沢もあり、まるでシルクのようです。
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現在でも「からむし」は様々な工程を経て糸となり、「からむし織り」の製品として反物、帯、小物等が作られています。
そして寒さをしのぐために麻の服の上に羽織るのは、こうした動物の毛皮。
動物の皮を剥いだり、なめしたりする道具は、縄文時代より以前の旧石器時代の遺跡からも出土しています。
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これはシカなどの獣の骨で作られた針。
長いものは、硬く厚めの皮を縫い合わせるためのものでしょうか。
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「編み物」は縄文時代から
縄文時代には経糸と緯糸を交差させる「織る」という技術がまだなかったとされています。
当時は麻などを素材に、スダレを作る(もじり編み)の技法で「編み布」を作っていたと考えられています。
それはこの地域に伝わる「アンギン編み」の起源であるとも言われています。
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このような編み機を使って「編み布」を作っていたのでしょうか。
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これは明治~昭和初期のアンギン編み機。雪深い地域の冬仕事として活躍していたようです。
十日町市では「越後アンギン」として、市民による技術の伝承・普及活動が行われています。
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縄文ファッションもアリ?
多くは分かっていない縄文時代の装いですが、リュックにポシェット、夏は通気性・冬は保温性重視…とファションの基本形はほとんど変わっていないようにも思えます。
縄文時代の竪穴住居で母親が家族のために編み物や縫い物をする姿は、ひと昔まえ昭和の光景にも重なるようです。
そして今と同じように祭祀などのハレの日には、色彩のある文様の服や耳飾りなどの装飾品を身に付け、おしゃれを装ったと考えられています。
今や通勤にもリックやカジュアルウェアが当たり前。サステナブルな社会を目指す観点からも、縄文ファッションに回帰!なんてことも、満更でもないかもしれませんね。
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縄文人と国宝火焔型土器は『十日町市博物館』で。
*参考資料
縄文人の植物利用 工藤雄一郎 / 国立歴史民俗博物館 編
©2024 のんてり
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