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前澤友作氏が設立した『coary』炎上をジェンダーフェミニズムの観点から読み解く。


https://twitter.com/yousuck2020/status/1618792751646269441?s=20&t=eOcJJCUjpNOPqMfm8si9WQ

前澤友作氏が立ち上げたマッチングアプリが炎上しているようですね。

引用RT見る限り、皆さん怒れる雄牛になっておりますが、やっぱりこういう炎上って考え物なんですよね。

炎上する事によって、

  1. 物事の背後関係や文脈が考慮されずに、過剰にコンテンツ化される(淫夢や性の喜びおじさんと同じ構図)

  2. 冤罪だった時の訴訟リスク、信用を毀損するリスクが高すぎる(草津町議がいい例)

  3. 物事を深く考えない癖が付いてしまう

今私が聞かれてパッと即座に思い浮かぶものはこれくらいなんですが、私の意見を挟むと、3が一番問題だと思っていて、本来なら考えるべき所を即座に決めてしまう。
私はADHDの特性があるので、そういう所はまああるんですが、大体それらは発達障害者支援法やら就労やらは横に置いておくとして、個人の問題だと思うんですよね。
「個人的な事は政治的な事」では全くないが、エビデンスフリーな個人の感想が社会運動という羊の皮を被り、公権力に食い込む。これも問題だし、それを批判しないジェンダー系学者や活動家、その他諸々も問題だと思います。

でも私が言いたいことはこれではなく、

  •  シングルマザーが恋愛相手を探す事の倫理的問題(自由恋愛、自己決定権)

  • これから起こるであろう未来の性暴力抑止の問題(犯罪心理学的アプローチ)

  • 賃金格差などの労働を取り巻く問題(労働法)

  • マッチングアプリを利用する事での人間関係の空洞化の問題(中間層の崩壊)



私が引用RTをざっと見た範囲だと、解決すべき問題と、それが具体的に何を指しているのか、どうすれば良くなるのかを混同している気がします。

まあ、控えめに言っても、中学生から大学生を対象にした『第8回青少年の性行動調査』、それらをまとめた『青少年の性行動はどう変わってきたか 全国調査にみる40年間』では、青少年の性被害の申告件数は減っている上に、何なら露出被害以外の性被害は、性のイメージにプラスの影響を与えているという統計はあるし、決して普遍的とは言えない自らの性被害を、今のZ世代にも言えることだと拡大解釈しているのは本気でおかしいと思っていますね。Z世代当事者としても。

勿論ですが、性被害や性暴力は、無くすべきですし、今のColaboやぱっぷすやBONDプロジェクトや、赤い羽根共同募金、ナニカグループがズブズブに癒着してその努力が蔑ろにされる事があってはならんな、と思います。

ですが、シングルマザーが恋愛相手を探す行為自体は、非難されるべきことなのかというのがちょっとよく分からないですね。子供と大人が恋愛しようが、小中学生が恋愛しようが、シニアが恋愛しようが別にそれ自体は問題ない訳で。
人間のセクシュアリティに付いて議論するならば、一般書だけでなく、専門書にも手を出してみるとか、事実関係はきちんと調べた方がいいと思います。

未来の性暴力抑止の観点から。そもそも未来の存在自体が、異性間でセックスして子供を作る前提というのが個人的には気に食わないが(私は寧ろ、生産性のないガイジ(non-productive retards)であることを誇りに思う)、性暴力の懸念自体は間違っていないとは思う。これに関しては誰かが止めるべきだというのも一つだし、前澤友作のマッチングアプリ批判、 ・シングルマザーが相手を探すこと(自由恋愛、自己決定権) ・これから起こるであろう未来の性暴力抑止(犯罪心理学的アプローチ) ・賃金格差などの労働を取り巻く問題(労働法) これらがごっちゃになっている気がする。だし、IT事業者も己が行う事業のリスクヘッジはすべきだと思いますね。ソーシャルメディアやウェブ事業のリスクとしても織り込んでおいた方がいいと思います。
もし可能なのであれば、進化生物学的観点や、犯罪心理学の観点を織り込むためにテックの設計に専門家を呼んでもいいと思うんですよね。

マッチングアプリについて少し

マッチングアプリについて少し書きたいが、私はマッチングアプリなんて全く使わない。

理由は単純だ。流行りに乗れないのと、簡単に出会える関係に意義を見出さないからだ。

かつての日本の人間関係は、同調圧力もあったが、濃密な交流が得られた。
共同体社会と言うやつだ。それが、グローバル化や、土地にゆかりのない新住民の急増、旧住民の高齢化、多くもなく少なくもない人間が海外移住し、外国人労働者の増加………
要因は多岐に渡るのでここでは取り上げないが、インターネットとソーシャルメディアの普及により、感情が単純化したという見方も出来ないか。

1960年代の日本なら、結婚せよという圧力はそれなりにあったし、職場や道端、出会う機会は今以上に偶発的であったのではないか。
現代は、コロナ禍も落ち着きつつあるが、念には念を入れてマスクを着用する人もまだまだ多い。

人との接触も、当然減っている。『ベッケンバウアー自伝』で「ピルが解禁され、流れでいろいろ経験した」とベッケンバウアーが述べたようなメタファーは街中で見られない。
ツイフェミやネトウヨ、パヨクは現代病では無いのか。



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