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【育児】赤ちゃんと二人きりになったときの漠然とした不安について

普段仕事をしていると、裏側では奥さんが乳飲み子である娘の面倒を見てくれている。たびたび感謝は伝えるけれども、いくら言っても足りないくらいたくさんの苦労を掛けているのだろうと思う。

育児というのは安らかなイメージがある。一般には赤ちゃんがにこにことご機嫌でどたばたしている様子を親がほほえましく眺めている様子だったり、ぐっすりと眠っている赤ちゃんの頭を親がやさしくなでたり、というイメージが想起されるだろう。

いうまでもないことだが実態は大きく異なる。そしてそれは、ご飯をあげるのが大変、泣いたときにあやすのが大変、寝かしつけるのが大変、といった単なる「タスク」の話だけではなく、精神的な負担も大きい。

先日奥さんが久しぶりに友人との食事に出かけ、夜のオペレーションを一人で担った(それもわずか数時間だけだが)ことがあった。
このときふと娘と二人きりになったとき、そこはかとない不安に襲われたのである。これは実に名状しがたいのだが「なんか大丈夫なのか」という思いが消えないのだ。
もちろん大概の場合は大丈夫だし娘はかわいいのだが、時間が過ぎるのはなんとなく遅く感じるし、わんわんと泣き出すといくばくか狼狽する自分がいる。

いわゆるひとり親となると、子供を一人で育てる必要がある。周りの協力は得られたとしても、必ず赤ちゃんと二人きりになる時間があるし、その時間は通常の家庭より長くなる。
つまり(私のように気が小さい人間なのであれば)私が感じたような漠然とした不安を感じる時間も、それだけ長くなる。不安にさいなまれている時間が人より長いということだ。

いまほど男女平等という観念が広まっていなかった時代に育児を経験した母親がやけに肚が据わっているのもうなずけることである。
育児を経て肚が据わるのか、女性というのはそもそも精神的に屈強なのかわからないが、いずれにせよ育児には「肚が据わっている」ことが必要なのだろう。
「漠とした不安に苛まれる」という、人と接することが嫌でも多い仕事ではなかなか味わうことのないような貴重でタフな経験を、育児は私たちに与えてくれる。

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