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2/26〜 癖(へき)と推し



毎日寒かったり暖かかったりしますね。
人間の体はそこまで上手に設計されていないので、
急な変化についていけないのは当然のこと。
ご自愛ください。





わたしはオタクなんだけど、あんまりオタク以外の口から聞かない言葉ってあるよね。
そのうちのひとつが、これ。


へき【癖】〘名〙
かたよりのある好みや傾向が習慣化したもの。
くせ。習性。

精選版 日本国語大辞典


オタク以外の人が『癖』って漢字を「へき」って読むの、聞いたことないかも。

ほかのオタクたちがどういう意味で使っているかは知る由もないけど、わたしの場合は『性癖』-『性』=『癖』という頭の悪い引き算を行った結果、『癖』という言葉を『(性的なものに限らない)好み』という意味で、主にコンテンツに対して使っている。
(ちなみに性癖という言葉は本来、性的嗜好という意味ではないらしい。上の計算式では性的嗜好という意味で使っています。よろしく)


オタクをしていると数多の『好き』に出会う。積み重なった『好き』に自分なりの共通項を見つけていくとそれがそのうち『癖』の自覚になる。自覚した『癖』はいつしかオタクとしてのアイデンティティのひとつになる。と、少なくともわたしはわたし自身に対して考えている。

こんしゅうはそんな癖(へき)と推しのお話です。
よければ、お付き合いください。




劇場版『ハイキュー!!』を観た。



先週、友人と劇場版『ハイキュー!!』 を観に行った。面白いことにこの友人は、11年前のわたしに『ハイキュー!!』の単行本を貸したその人だった。

感想はここでは詳しく述べないけれど、はじめて漫画で読んだ11年前(当時はバレーのルールをひとつも知らなかった)や、はじめてアニメで観た10年前(日曜日の17時、アイキャッチが可愛くてびっくりしたことを今でも思い出す)、少年ジャンプ本誌で毎週追いかけていた日々、最終話を本誌で読んだあの日、最終巻の単行本を本屋で手に取った瞬間を全部思い出して、なんだか不思議な体験になった。『ハイキュー!!』走馬灯だった。

隣で観ていた友人もおそらく同じような気持ちになったのだろう。劇場内が明るくなってからやっと目があった友人は「なんか懐かしかった。色んなことを思い出した」みたいなことを言っていた。




『ハイキュー!!』って、10年以上前からずっとオタクをやっているとある層のオタクにとって、結構な割合で(『黒子のバスケ』と並んで)いわゆる「義務教育」みたいなところがある。
その頃はまだ知り合いでもなんでもなかったオタクたちも『ハイキュー!!』を履修していることが多くて、それぞれ『ハイキュー!!』と過ごした思い出を抱えながら日々を生きている。
出会ったばかりのバイトの先輩(オタク)とも『ハイキュー!!』では誰が好きでしたか、って話題で盛り上がれたりする、いわゆる国民的アニメというやつのひとつなんだと思う。


そして、この劇場版の公開を機に、ここ最近、まわりのオタクたちの『ハイキュー!!』話を聞くことが増えた。映画を隣で観ていた友人もそうだし、劇場に足を運んでいたフォロワーもそう。なんなら観に行っていないフォロワーとも『ハイキュー!!』の話をした。
当時そこまで親しくなかった人、そもそも出会ってもいなかった人から聞く当時の話はなんか、とっても興味深い。その人の知らない一面を知れるような気がして、嬉しい。

特に面白いのが、当時の推しが誰かを聞くことだ。『ハイキュー!!』には様々なキャラクターが登場する。そのうちの誰が好きだったか、という話はその人の『好き』の遍歴が知れて面白い。
いくつか聞いてみると、今の推しからすればすごく意外だ、と驚く人もいれば、あまりにも予想通り過ぎて、聞いた瞬間思わずお腹を抱えて笑ってしまった人もいた。『癖』がはっきりとわかりやすいかどうか、ころころと変わりやすいかどうかは人それぞれだ。


わたしは『好き』が起こるとき、半分は推しのせいで半分はオタクのせいだと思う。
顔、体格、声、性格……さまざまな要素を持ったものと出会うとき、オタクはオタクで、癖、熱、情、環境……など、これまたさまざまな因子を抱えている。それらが色々な状況で出会って、時間が経ったり経たなかったりして、『好き』が起こる。感情が生まれるのだ。

だからわたしは時折新しい『好き』と出会うことを事故だと感じている。廊下で歩いているときにすれ違いざまに肩がぶつかる、みたいな衝突事故だ。わたしが年に一回新しい推しができるかどうかというスパンでいるオタクだから余計にそう感じるのだろう。推しができる瞬間って、とっても偶然なのだ。


そしてわたしは、そういういくつかの『好き』が段々積み上がってきて、ようやく『癖』を自覚してきたところだ。もちろん自分の『好き』の箇所を全て把握しているわけではないので、意外なところに『推し』ができることもままあるけれど(それをよく「もともとの趣味じゃないのに(顔に / 声に)負けた」と呼んでいる)それも面白い。『癖』が時を経るにつれ少しずつ形を変えていくのを感じるのもまた然り。


オタクたちの『癖』と推しの話をもっと聞きたい。
いま、この文章を読んでくれているそこのあなた、『ハイキュー!!』の推しは誰ですか。







そのあと友人とはこんなこともした 懐かしかった



おしまい。
ここまで読んでくださった方、ありがとう。
あなたにとってもわたしにとっても、
明日からの来週がいい1週間になりますように。

来週はたぶん、写真ばっかりの投稿になります。


𝜗𝜚 ⋆ ˚。⋆ 𝜗𝜚 ⋆ ˚ 𝕊𝕡𝕖𝕔𝕚𝕒𝕝 𝕋𝕙𝕒𝕟𝕜𝕤 。⋆ 𝜗𝜚 ⋆ ˚。⋆ 𝜗𝜚
「noteのネタにしていい?」というよくわからない申し出によくわからないまま「いいよ」と言ってくれた友人