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非認知能力とジュニアサッカー

少年サッカー、ふと何のためにやってんのかなーと思ってしまうこともある中、昨今よく耳にするこの言葉。

「非認知能力」

ググってみるともう情報が多すぎてどれが明確な定義なのかが分からないんだけど、日本生涯学習総合研究所のページが分かりやすかった。

能力の要素

1 認知能力
(1)基礎学力
(2)基礎的な知識・技能
(3)専門性・専門知識

2 非認知能力
(4)問題解決力
(5)批判的思考力
(6)協働力
(7)コミュニケーション力
(8)主体性
(9)自己管理能力
(10)自己肯定感
(11)実行力
(12)統率力
(13)創造性
(14)探究心
(15)共感性
(16)道徳心
(17)倫理観
(18)規範意識
(19)公共性
(20)独自性

要するに非認知能力とは、テストの点数なんかで「認知」できる能力ではない能力を言い、この能力向上が、ハードモードなご時世を子供たちが生き抜いていくために必要とされているようである。

おや?これは全般的に日々のサッカーで養うことができそうだ。

ここで親として大事なのは、認知できる(目に見える)こと、つまりは「活躍」「上手い・下手い」に一喜一憂しないことが重要っぽい。これらに囚われることなく、見えない部分を伸ばしていくことで、これら非認知能力を高めてあげなければならない。この親のちょっとした関与の影響は少なくないと思う。

サッカーができる・できないは目で見えるが、何か分からんけど目で見えない部分に親が目を向けてあげるだけ。イージーイージー。この「非認知能力」が「認知能力」の土台となるのだとしたら、トータルで賢くて世渡り上手なオトナに育つ蓋然性が高まるのである。

さて、うちは4種登録のチームに所属しているので、競技的要素が優先されることもあり(それでもありがたいことに我がチームはENJOY要素も積極的に取り入れてくれている)、冒頭のとおり時に何のために必死にサッカーやってんのかぼやけてしまうこともある。

サッカーなんて、人生の中でやらなくていいことのひとつ。これで飯を食うには相当ハードルが高いし、ましてやプロになることを目的とはしていない。

しかし!そう思いながら週の大半を子供のサッカーに費やすのは健康的でない。子供にも悪影響である。今回の落書きを機に、私はもう一度修行をやり直す所存である。いつも気になる目先の結果から、少し目線を変えることなんて、暑い日も寒い日もグラウンドを走り回る子供達の疲労に比べれば取るに足らないし大した修行ではない。

そうだ、例えばこう考えよう。

◯寄せない・競らない→怪我をしない、させないセンスがあるのかも(問題解決力、危機察知能力)
◯走らない・声出さない→体力ゲージを適切に調整しているのかも(自己管理能力)
◯ポジション迷子やがな→壮大なゲームプランがあるのかも(創造性、独自性)

と、机上では納得できるんだよなー。つかサッカーで一定の活躍以外の評価対象ってどこやねん。コミュ力くらいしか思いつかん。どうもつい子の動きが悪いとブツブツ言ってしまう。これの制御がイージーにはいかない。流石に声を荒げたりはしないんだけどウダウダウダウダ…

いや、私の修行不足のせいで子供に悪影響を与えるのは、親の吸うタバコの副流煙を子供に吸い込ませてしまうのと同じことだよな。私が嫌いなやつ。これを機に修行を加速することの検討を加速しよう。

ここで書いたチャートの形成にも非認知能力は必要なのかもね↓

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