走ることについて語るときにおじさんの語ること
ランニングを始めたのは2013年の秋。気付けば10年を越えていた。最初のきっかけはよく覚えてないけど、多分ナマってんなーとかいう理由で夜のウォーキングを始めたのは覚えている。
何日か歩いていると、夜だし流石に退屈になってきて、ある日電柱から電柱までの間を走ってみた。
愕然とした。
全然走れない。息は切れ、重力が普段より増したように感じた。悟空の重力トレーニングかよ。これはいかん!と、歩くことから走ることに切り替えた。
何週間か走っていると、自然と普通のニュートンに戻った。どんどん身体が軽くなる感覚。この時期はホント楽しかったな。丹田、肩甲骨、骨盤(金哲彦)!いうて。
それから、ちょうどこの年の冬にRUNNING gear MASTERという、文字通りランニングギアを紹介する雑誌が出版され、モノ好きの私(当時)に刺さったのは大きかった。
アシックスでいうカヤノの位置はナイキではペガサスなのかズームストラクチャーなのか?とか、店舗限定のカラーがどうのこうのとか、GYAKUSOUがいつどこで販売されるのかなど、これまでの自分の知るファッションから新しい領域に踏み入れたような感じで、色々な情報を得ることが面白かった。
特に足元に関して深掘りしていくのが楽しく、随分とシューズも買ったものだ。未だに自分のプロネーションがどうなのか分かってないけど。
ウエアは基本的にノースフェイスで揃えてて、丸の内のFLIGHT TOKYOには上京のたびに足を運んだ。エクスクルーシブのTシャツは今も大事に着用している。銀座にできたEN ROUTEにももちろん行って、何を買ったかは覚えてないけどステッカーを沢山もらって嬉しかった。
いやー、書いてたら色々出てくるな。
出張のときにはわざわざスーツケースにランシューを入れていって、皇居や京都、大阪、金沢…色々な都市で走ってめちゃくちゃ楽しかった。
特に初めて皇居を走ったとき、半蔵門のあたりから遠くに丸の内のビル群を捉えたときは、高揚感から思わず叫びそうになった。「俺はここにいる!」と。
全て過去形になってしまうのは、ちょうどランニングを始めて10年になるときあたりから筋トレに力を入れだして、週に何日かは走っていた時間が、トレーニングジムに変わってしまったからである。
今も時間が許すのであれば、我が福岡の聖地、大濠公園に走りに行きたいけども、重きを置いているのは専ら筋トレ。こちらもひとりで黙々とできるところが共通している。どちらも基本コミュニケーションを必要としないから、何ら煩わしさがない。別に3㎞程度で歩いてしまっても、軽めのダンベルが上がらなくても、何も気にしなくていい。
https://note.com/zwackelmann/n/n90d47f161216
しかし何より走ることで得られた一番大きいのは、自信だと思っている。10㎞先くらいなら、あー、歩けるわ。というマインド。フィジカル的な面で、自分の活動範囲を大まかにでも知ることができる。これはデカい。なお、フルマラソンはチャレンジしたことがない。
いやー、しかしここで振り返ってると走りたくなるね。誰も読んでないと思うけど、noteでアウトプットする意義の1つだな。今年はハーフからチャレンジしようかな。
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