わたしがここにいるということについて、何の違和感を感じずに自分の存在を当然のように生きている、そんな人がいる。とても羨ましいのだ。と同時に、どうしてなんだろう?知りたい。

心から溢れるほどの情熱を表現せずにはいられない、そんな人が芸大に行くものだと思っている。じゃあ、そんなものがないのに、どうしてわたしは行きたいと思うのか。
「行きたい=生きたい」ってことかもしれない。

あるプログラムのコースで芸大に行った時期がある。どちらかというと科目履修生に近く、正規の学生というわけでもないから、それほどどっぷりと浸かったわけではない。
それでも、わたしのちっぽけな人生に与えた影響は大きかった。
ある先生の授業が忘れられない。
その授業の後になって自分の足元に変化を感じたのだった。
自分についても他者についても、存在を疑わなくなったというか
仲良くなるとかそんな単純なことではないんだけど
根っこの部分で繋がって
わたしもみんなも、ここにいていいってそんな感覚を覚えたのだった。
他の人も同じように感じたかはわからないけど、わたしは居心地が良かった。
親子ほどの歳の差がある学生さんと一緒の空間にいて、違和感を感じない。
卒業生からいただいたランチョンマットを壁に飾って眺めて
またあの場所に行きたいと思うのだった。

「学び」という点において
わたしは恵まれている
あの芸大の授業を持ってくれていた先生はもういないし
有能な実習助手の先生ももういない
偶然にあの時あの場所で一緒だった

芸大が必ずそんな場所ということでもなく
同じ意味を与えてくれる場所なら、また行きたいと思う
ただそれだけの理由。



しあわせの妖怪あらわる
柳田國男先生に会ってみたい


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