カメラを持って、家の周りをぶらり。 お日様みたいに咲き誇るタンポポ。 チューリップ。 夕方になるとお花を閉じていました。 花も眠るのでしょうか。 フキノトウは、もうこんなに伸びていました。 宇宙と交信しているかのようです。
ナースコールを押しました。 気持ちが悪くて吐きそうだけど、 私はベッドから起き上がることができません。 けれど、看護師さんは、 すぐに私の所に駆けつけることができないようです。 (大丈夫。) 私は自分に言い聞かせて目を閉じました。 ★ ★ ★ ★ その頃、他の患者さんに対応していた看護師さんは 胸の内でつぶやきました。 (ああ、ナースコールが鳴っている。でも今は対応できないよ。 病棟は
そして・・・・
あちっ! フーフーしてよ。 猫の舌つながりで「猫がミルクを舐めた時のような顔」という表現が思い出されて、調べてみたけれどネット検索にはひっかからなかった。 ちなみに猫にミルク(牛乳)はNGで猫用ミルクでなければという事を知る。 勉強になった。 後日譚:「猫がミルクを舐めた時のような顔」 気になって自分の蔵書を調べた。 「あった!」 一発で見つけた。凄腕!
雨 嵐!!
集合住宅の、ねこのひたいほどの畑で 春野菜を採って サラダを作ったら 気分はラララです。
連休の集合住宅。 お天気もいいし、みんな、どこかへ行っちゃった。 わたしは、いつも通り。 本を読んだり、レコード聞いたり。 窓から見える花。 二つ下の階では、お留守番のねこが、あくびしている。
冬が終わりを告げ、世界中に色が溢れています。 なのに、ドレミの服はモノトーン。 世界との間に見えない壁があるような気がして、 ドレミの心は暗く沈みました。 そこへ、ファソラ姉さんがやって来ました。 「何だか元気がないように見えるけど、どうしたの?」 「世界はこんなにも鮮やかな色に満ちているのに、 色のない世界にいる事が悲しいの。」 いつのまにか、シド兄さんも来て 「ドレミが悲しいと、ぼくまで悲しい気持ち
片岡義男の本には、季節の移ろいを楽しむ描写が数多くある。 桜についての文章も多いが「and I Love Her」の中の文章(下記に引用)は、桜が散る季節になると思い出される。
以前も記事にした(うちの桜)。 本州では、とっくに終わっている桜ですが、 北の大地にある我が家の桜は、今が見ごろです。 横に広がらずに、縦に長ーく伸びた桜。 二階の窓からもよく見えます。 この桜の夜の様子が好きです。 夜の闇に、白く浮かび上がる姿が幽玄で美しいのです。 根っからのインドア派で、外に出て花見などはしないのですが、この記事を書くにあたって、うちの桜に敬意を表して外で眺めてきました。いつもは見下ろしている桜ですが、外で見る時は逆に見上げる格好になります。蜂が
タイトルは軽やかだが、オシャレでも何でもない、お仏壇のお花のこと。 2月に家族を亡くして、今、お仏壇のお花のお世話が 朝の仕事になっている。 毎日お花を買うわけにはいかないので、萎れたお花や葉っぱを取り除いたり、お水を代えたり、茎を短く切って、お花が水を吸い上げやすいようにしたりして、朝、メンテナンスする。 その後、よりよい形に生け直す。最低でも30分くらいはかかる。 平日の朝は、ご飯の支度もあり、 出勤もしなくてはな
はっと目を覚ます。 ああ、今日は休日だった。 しかも連休の始まり。 通常通りの土日なら、こんな気持ちにはならないのだが、 連休への期待が大きすぎて、逆に不安になるのだ。 (いいんだよ。ここらで一息ついたって、バチは当たらないよ。) 猫が大きくあくびして、そう言っている。 (そうそう。そうだよ。) 小鳥も電線の上で、うなずいている。
「わたしの ワンピース」 にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 言葉のワンピース。
「わたしの ワンピース」 にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 うさぎがワンピースを着ている所は、絵本と同じ。 私は手持ちの千代紙をワンピースにしてみました。 色や柄が楽しいです。
「わたしのワンピース」にしまきかやこさんの名作絵本です。 私もワンピースで遊んでみました。 うさぎさん が ワンピースを 着ています。 「うさぎ」と 三角形みたいなワンピースの形は同じ。 ワンピースの色柄は同じ。 でも、背景の色を変えると、雰囲気が違って見えます。
『サザエさん』のフネさんタイプ。 和服に割烹着。洗濯機も電子レンジも紙おむつもない時代のお母さん。 『サザエさん』や、ちびまる子ちゃんのお母さんタイプ。 共通点はパーマ。サンダルを履いて、籠を持ってお買い物。 『クレヨンしんちゃん』のお母さんタイプ。若々しい。おしゃれ。パンツスタイルで颯爽と。しんちゃんは、お母さんのことを「かあちゃん」と呼ぶけれど「みさえ」と名前で呼ぶことがある。ポニョの宗介も、お母さんのことを「リサ」と呼んでいた。「母」とか「主婦」とか役割