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かかわれ人類

人と関わることについて考える。
わたしは基本的に人が好きで、相手が日本人でもベトナム人でも大人でも子供でも男でも女でも背が高くても低くても、おもしろい人はおもしろいと思うし、好きだなーと思う。会っていろんなことを話したいし、変な看板を見つけて笑いたい。自分の周りにいてくれる友達のことを考えても、みんなおもしろくて大好きだなーと思う。

1週間前にマッチングアプリを始めた。昨年の今頃もやっていたので、1年ぶり2度目だ。人を条件で選別していく作業は正直気持ちのいいものではないなと思うし罪悪感のようなものも付き纏うが、昨年はこのツールを通して気の合う友人もできたのでまあ捨てたもんじゃないとも思う。今回も気の合う人が見つかればいいな。

マッチングアプリをやっていて一番よく思うのは、みんな何を求めてこんなともすれば虚しいような作業続けているんだろう、ということだ。もちろん大半の人は恋人を見つけたくてやってるんでしょう、そしてそこまで深刻に考えているわけじゃないんでしょう。別にみんな虚しくないのかもしれない。

わたしは恋愛って関係性の進化した結果にすぎないと思っているから、それを目的に据えることに対してすごく大きな違和感がある。でもマッチングアプリは基本的に恋愛を目的に据えて進めざるを得ない。わたしの現状に関して言えば、身の回りの関係性の中では進化する気配がとんとないので、進化するかもしれない関係性を探すためにアプリをやっている、という感じだと思う。

わたしにはその感覚を理解することができないけれど、たいていの人は恋愛を前提にやっているんだろうなと思うから「あなたは何をどう考えてアプリをやっているんですか?」なんて聞けなくて、ずっともやもやしている。今日通話した人に思い切ってそんなことを聞いてみたら「周りが結婚したり同棲したりするのを見ていたらいいなって思うし…」とのこと。まあそうなんだろうけど、そうなんだけど、うーん。じゃああなたにとって恋愛って何なんですか。深く知らない相手と人間関係を新しく構築していくときに、「よし、この人とは恋愛するぞ~」と思って接するということ?それってどういうこと?ていうか、恋愛って何?

ということを考えて、最近は毎晩変な気持ちになっている。
今までにも書いてきたことだけどわたしの中にある恋愛感情の種はたぶん人よりも少なくて、ほとんどの人間関係が友情や尊敬で成り立っている。よく知らない人のことを恋愛的にいきなり好きになることはおそらくほとんどないし、仲良くなり始めの「この人のことを知りたい」という線路はいったん友情のホームに繋がっていく。そしていったん友達になった人と恋愛的な関係になることをどちらかと言えば嫌うので打率がむちゃくちゃに低いし、そもそも恋人であっても友人のような気楽な距離感の方が好きだ。というか、恋愛って何?(2度目)

わたしが今まで恋愛的に好きだな、と思っていたときの感情を分解すると、ものすごく分厚い友情や信頼や尊敬や親愛の感情の上に、ほんの少しの性愛が乗っているくらいのものだった気がする(10代特有の恥ずかしい記憶を除く)。そこにあるのは薔薇じゃなくてたんぽぽだったし、指先じゃなくててのひらだった。そういうことをマッチングアプリみたいな即時性が求められるツールに要求するのはそもそも間違っているんだと思うけど、それでも、同じような違和感を抱えているひとがいたらいいなと思ってしまう。

結局自分が求めているものをはっきりと見極められなくて、適応できていないのはわたしの方なのだろう。なんだかね。なんなんだろうね。
この人と仲良くなりたいなとか知りたいなとか、ひとりでいるよりこの人と一緒にいるほうが楽しくて豊かになるから一緒にいたいなとか、そういうシンプルなものだけで生きていけたら楽なんですけどね。

難儀。

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