存在感

こんばんは。
また非常にひさびさに開きました。
全然考えがまとまってないですが、メモ書き程度に書いておきます。

最近、ふとしたときに自分が自分としていることの価値みたいなものを考え出して不安になることがあります。子供のころは考えたこともなかったけど、大人になったということなのか単純に自分の軸がぐらついているのか…理由はよくわからないのですが。

たとえば、高校を卒業して家を出るまでは「親子」という関係が明確にわたしに付随していて、家にいる限りわたしは「わたし」という存在のほかに「娘」という役割がありました。当然ですが娘の役割は誰にでもできるものではないので、わたしだけが持っている価値でした。家族という繋がりはわたしの中ではとても強いものだったから、それは自分の価値を確立するのに十分だったんだと思います。まあ今でも親子関係も娘の立場もあるんですが、やはり家を出てからはその感覚は薄いなあと思います。

あるいは、恋人がいる場合は「恋人にとっての彼女」という関係もありました。彼女の役割も(おそらく)当時わたしだけが持っているものだったから、それも自分の価値を外部委託するのに十分でした。

ところが、ここにきてわたしはそういう関係性から解放されてしまい、社会にポンと放り出されたなと思うんです。きっとこの先何十年かして、家族がいなくなったりしていけばこのポツーン感(違国日記でこんな言葉のチョイスしてたよね)はきっともっと強くなると思います。それがこわい。

わたしには友達もいるし、仕事もあってそこそこ充実しているし、趣味と言えるかはわかりませんが好きなこともあるし、客観的に見てもそこそこ恵まれた環境にいると思います。「私なんて必要ないんだ!」とかは全然思わないし、たぶんわたしが明日死んだら困ってくれたり寂しいなと一瞬でも思ってくれたりする人はまあまあいる(と思いたい)。

ただ、「わたしでなければいけない価値」みたいなものはやっぱり今すごく薄いなーと思うんですよね。本当はみんなそんなものなのかなって気もしますけど。それが非常に心許ない。

こういう心許なさを抜け出すために恋人を作ったり、そして法で約束された繋がりにするために結婚したり、さらには血縁関係を求めて子供を産んだり…という人もいたりするのかなー。他人を自分の価値の確立のために使うのはナンセンスな気もするけど。いつもおもしろいことを考えているフォロワーが昔、「生きがいの外注としての子供」みたいなことを言ってたけどたぶんこんなニュアンスだったのではと思ったりしています。

自分の価値を自分でしっかり確立できる強い自己肯定感を身に着けたいと思う今日この頃です。話の軸がぶれてる気もするけど、そんなかんじ。みなさんはどうですか。


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