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[加筆修正]大好きだから、距離を置きたい。

この数年間、私の生活の中心にあったもの。

それがあったから、人生が変わった。心身に向き合えた。仕事を頑張れた。勇気を出せた。自分の殻を破れた。

かつて、一人でコソコソ劇場へ向かい、SNSの先に独り言をつぶやくだけのファン生活。いつしか、世代や住む場所を超えた多くの人達と出会えた。宝塚歌劇周辺の街にいくつもの馴染みのお店が出来た。お店に顔を出すと「宙組始まったな~」「宙組ファンのお客さん来てくれたよ」「公演中よろしく」と声を掛けてくれたりもする。

初めて好きになった娘役さん。全身全霊を掛けて応援し見送った男役さん。舞台の片隅で出会った光る小さな原石。娘役としてのキャリアを着々と歩んでいる姿を現在進行形で見守っている。


宙組の全てが大好きで、掛け替えのないものだった。

だからこそ、今は距離を置きたい。

矛先は生徒さん達ではない。そこは明言しておきたい。

(こう呼びたくないが…)加害者とされる生徒さんも、自死された生徒さんも大好きだった。

みんな被害者だと思っている。

かつては「音楽学校ルールあるある」で笑えていた。よくOGがバラエティ番組で披露して笑っていた。が、今は自分達の内部で納得し収まっているルールでは済まない。世間の目・世間のルールから見てどう感じるのか?

「美徳とされるルール・世界観でも、世間の目を気にした方がいいと思う」と言いたかったが、その辺りをだいぶオブラートに包んで表現した。それでも劇団には良心はあると期待もしていた。が、ここまで世間の目を気にしていなさ過ぎた事にビックリし、がっかりしている。

それを持て囃していたのは、我々ファンもだと思うと居た堪れない。

あの夢の舞台が(コロナ禍と言うイレギュラーな状況も併せて)若い子達が心身を削りながら、いっぱいいっぱいの状況で築いて来たものなのだと思うと「感動」なんて軽く言えない。あの調査結果を見て、満身創痍で弱音を吐く生徒さんに対し「あなた達が好きで目指した世界でしょ」「嫌ならやめたらいい」なんてとてもじゃないけど言えない。そんなの人間の心じゃない。

芸事で高みを目指す事は、全てが世間一般の感覚に当てはめられるとは思っていない。

「お稽古中でも給料が発生するから業界内では恵まれている」「真剣にその世界の高みを目指すものはパワハラなど言わない」もちろんそれは一理あって、労働時間に関しても労働基準法と必ずしも当てはまらない事も承知している。放っておいても寝ないで練習してしまう人達だと思うので。

それを踏まえても…今のままでは、無理だ。

今のままでは、宙組を宝塚歌劇団を応援出来ない。

会見で「いじめは無かった」と言い切った事が悲しかった。劇団の中ではそうでしょう。あくまで「劇団では」それを上下関係とし、ハラスメントとは言わないだけで、残念ながら世間ではそれをハラスメントと言う場合がある。

ヘアアイロンの件自体は命を断つ程の理由ではなかったが、週刊誌に掲載され事実確認をされた。度々触れられる事への苦痛、リークを疑われたかもしれないと言う精神的不安があった。更に、同期の退団が相次ぎ新公の長を2人でする事になった。この負担が大きかった。

心身ともに弱っている中・過労がピークに達する中では正常な判断なんて出来ない。普段なら気にも止めないし、受け流せるような何気ない言動にすら傷ついて思い詰めてしまったんだろうな。

「いじめはない」と周りは思うかもしれない。

周りからしたらそんな事?ってなるような些細な出来事かもしれない。上級生の立場から幹部・役職と言う立場上言わざるを得なかった事もあったと思う。彼女達がずっと叱責していたと言う事は無く、アドバイスもするし、普段はいい上級生だったと思う。新公の長・幹部・上級生と言う立場故に起きた悲劇とも思える。

上級生達はあの狭い世界のルールしか知らない。世の中ではハラスメントに当たるよ、と言われても分からない。コロナ禍で新公の経験が少なくイレギュラーな状況に配慮する気持ちより「そう言うルールだから」を優先してしまったかもしれない。

90期代前半と100期以降では音楽学校のカリキュラムが変わっていると聞く。10代と30代ではジェネレーションギャップもあるだろうし、上級生はただただ自分達も(上級生から)そうやって育てられた。もっと強い厳しい言葉で育てられたかもしれない。

普段からそんな事をする人達じゃないと信じた上で、例えそこに愛があったとしても、しきたりだったとしても。人命が失われた以上、世の中ではいじめでありハラスメントと言わざるを得ない。それを「愛」や「立場」で片づける事は許されないのだ。劇団の監督責任だ。今の時代だ、何がハラスメントに当たるのか?組長クラスの管理職くらいは研修を受けて欲しい。

上下関係は語り継がれる美徳ともなるし、一見理不尽なルールにもちゃんとした理由がある。それを乗り越えた事は生涯の思い出になる事も間違いないだろう。全てを否定したくはないが、それらを嬉々として美談を語るOGさんが居る裏で、語らない・語れない・語りたくないOGさんもいるはずだ。そこにも思いを馳せたい。

とにかく劇団はご遺族の気持ちに寄り添って欲しい。

起きてしまった事への誠心誠意の謝罪と望む補償をして欲しい。それすら出来ていない中で、東京公演のチケットが予定通り販売された。その事も疑問に感じていたが、会見内で実施予定と聞かされて、故人を何事も無かったかのようにされたようで嫌悪感を感じた。やっと四十九日を迎えたばかりで、まだ劇団側とご遺族が直接対話していないと言うではないか。

25歳と言う若い命が失われた。(故人の中の人と)接点のない他人の私ですらしんどい。渦中の子達は身近な人の自死なんてそんなにすぐに立ち直れるものなのだろうか。故人との親しさで心の痛みの度合いは違うはずだ。10代20代でそれを経験し、その先の人生に影響を及ぼしかねない心の傷を負っている生徒は居ないのか。それでも舞台に立ちたい・立たなければいけないのがタカラジェンヌなのだろうか。それはThe Show Must Go Onとか言う奴か。公演再開を待っているファンも多くその気持ちは否定しないけれども、私は、今幕が開いても観に行く気になれない。

10月の会見も酷かったが、あの会見の理事長始め劇団の偉い人の態度では誠意は見えない。この人達も「世の中」を見ていないんだなと思った。ファンと言う立場からは生徒に寄り添おうとする「心」が見えない。世の中的には某芸能事務所や有名大学などの会見から学んでいないのかと呆れる。雇用契約上の解釈を、上級生と下級生の関係性を、生徒やファンの夢を盾に都合よく解釈しないで欲しい。

今は、距離を置きたい。

宝塚ファンである以前に、人としてそう感じている。

考えれば考える程に苦しくて、これ以上宙組を嫌いになりたくない。いっそ、スッパリ「はいさよなら!」もう二度とあの街にも行かねーよ!と言えたらとも思う。でも、余りにも思い出が大きすぎる。私が宙組を大好きだった数年間を否定したくない。努力してこの場所を目指して来た子達を否定したくない。あの街で出会った多くの人達をスッパリ切り捨てることも出来ない。

本気で変わるなら、痛みを伴って本気で変わろうとするならば。現在進行形で応援しているあの子がそれでもこの舞台に立ち続ける・立ち続けたいとするならば。嫌いになれない。いくつかの余地を残しながらも、今はただただ距離を置きたい。

愛と言えるのか分からないが、ほんの少しだけ同情の余地を残してことの顛末を見守る。劇団が変わらなければいけないし、変わろうと努力をしようと言う姿勢をファンに世間に見せなければいけない。その誠意が見えなければ、私はあの美しいメロディと共に夢の街から去るだろう。