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生きるってなんだろう

生きるってなんだろうと思ったお話

この間、私の精神科の外来があった。
自宅から距離のある病院なので、いつも母が車で送り迎えをしてくれていて、そこで他愛もない話をするのがお決まりの過ごし方。

そこで、この間もいろいろ話したのだけれど、
母方の祖父の話になった。

祖父は、元々愛知に住んでいて、1人でなんでもやる人。
若い時からトラックの運ちゃんで、定年まで勤めあげた。
そんな祖父だったのだけれど、一昨年の暮れに、脳出血で倒れて、すぐに救急搬送されて一命は取り留めたのは良かったけれど、左半身に中度の麻痺が残った。

そして、1人で愛知の母の実家に住むことを断念して、私たちの住む茅ヶ崎に部屋をひとつ借り上げて、そこで生活してはや一年である。

そんな前置きから話は会話の内容へ。

最近、祖父はデイサービスに通い、家のことも危なっかしいけれど、料理以外は1人でこなせるようになった。

すごい話だな、と思うし、毎日なんだかんだ充実しているのかな、と私は思ったので、
「おじいちゃん大変だと思ってたけど充実してるようで安心したよ。」
と母に言ったら、
母は
「充実はしてないんじゃないかな。見知らぬ土地に住まわされて(それも不本意な理由で)、外にも一人で行けず、生きてるから、周りに迷惑かけないように生かされているだけだと思うな。」
と言った。

私はすごくそれが悲しく感じた。

生きているから、周りに迷惑かけないように生かされている。

それは私の中にも少なからずある感情だからかもしれない。

そんな悲しい気持ちが、祖父の中にもあるのかもしれない。
そう思うと胸が苦しくなる。

生きるってなんなんだろう。生きがいってなんなんだろう。

生きがいだなんて崇高なものを持っているのは、ほんの一握りの人なのでは、とも思った。

みんな、生きているから生きている。そうなのかもしれない。
そのなかで、一つでも幸せを感じることができたら、それはとても恵まれていることかもしれないな、と思った。

こまめに顔を出して孫としてできることをしよう。
茅ヶ崎に越してきて良かったなと一瞬でも思ってくれるように。
そして私も私の生き方を考えてみよう。明日世界が滅亡しても後悔しないように。

そんなことを考えた。

2024.4.19母との会話にて

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