ずい
僕はここにいるよ 君のいた場所に そこをスタートラインにして、記憶の旅が始まる。 僕の記憶、君の記憶。 淡い恋、眩しい恋。 柔らかな後悔の旅。 どうしてあの時伝えなかったの? 寄り添ってくれるのが後悔じゃなくて君だったらよかったのに。 そんな想い出は 苦しいけどいつも綺麗で、優しくて。 "油断"していると夢の中に生きてしまう。 夢は、記憶の整理のために見るらしい。 夢は記憶の旅のオアシスなのかな。 でも足踏みしてちゃダメだよね。 分かってるけど
今日は寂しさからくる悩み事などで、 もう何も考えたくない!となり、 ほとんど無理やり寝ていました💦😭 でも、後々自分の不調の理由を受け止められるようになったのは、とても大きい進歩だと思いました。 今までだったら、なんとなく調子悪いで片付けていたことだったから。 自分に湧き起こるマイナスな感情を、そのまま受け入れて、じゃあどうしたら良いのか、何を変えれば抜け出せるかを考えるべき時に考えることができ、行動できたのは本当に良いことだな、と思いま
自分を自分がよくわかっているはずだ。と思っていた。 でも、自分の中のエネルギーや本能や寂しさ愛おしさ怒り悲しみ憎しみとかが暴れ出した時、 自分のちっぽけで表面的な理解、理性は最も簡単に消し飛んでしまうのだよな、と思う。 わかるということすら、分かっていなかったのかもと思う。 理(ことわり)を解く(ほどく)と書いたりすれば、理解は長い時間や優しさをもって行うものだと表現することもできるはず。 私はその理自体をまだ見つけていない。 202
欅坂46のサイレントマジョリティーを聴いている。 私は平手友梨奈さんが大好きだった。今でも大好き。 かっこいい。 この曲は、声を上げなければマジョリティーに属していると説いている。 私は、世間的にいうマイノリティだと自負している。 この曲には、 イエスでいいのかサイレントマジョリティー という歌詞がある。 でも、イエスでもいいと思う。 そこで得られるひとときの安寧も大切だと思うからだ。 サイレントマジョリティーの中にも、マイノリティ、
最近になって、私は遅い青春を迎えてきたと感じることが多々ある。 それは、堅くて苦しい10代を送ってきた反動かもしれない。 20代になってから、良くも悪くもいろんなことをしたし(やらかしたこともチャレンジしたことも表裏一体として)、 23歳手前にして、入院はもう懲り懲りと思い、 やはりその反動として退院したあと、本当に楽しい生活をしている。 私の周りの子は、大学卒業、就活、そして新生活と大変そうだけど、 比較せずに私は私で社会との生活の仕方、楽しみ、 遅い青春
※性的表現が苦手な方は見ることをお控えください。あくまでも私の価値観だけのお話ですが。 お恥ずかしいことに、私は齢23になりかけにして、初体験という初体験をしたことがない。 この投稿のきっかけすら、友人にセックスというテーマを提示されたことだ。 ただ、ネットで読める官能小説みたいなものに傾倒していた時期があった、いや、今でもたまに読むことがあるので、知識は割とある。 ただ、私は本能的に身体の関係を持ってみたいという欲求はあるみたいだ。 実際、マスタベーションもしたことが
インスタグラムでフォローさせていただいた方の投稿の素敵な動画が流れてきたので、改めて、ミセスグリーンアップルの僕のことを聴いた。 私は、オーケストラバージョンが好き。 治りきらない傷も 全て僕のこと 生きていくうちに、心にも、身体にもたくさんの傷をつけた。 みんなが楽しい青すぎる春を過ごしているのに。 僕と君とでは何が違う? おんなじ生き物さ分かってる。 どこで間違えたのか、自分を責めて、一生治ることのない傷で自分を保った。みんなもそ
Mr.Children/Drawing デタラメと嘘の奥に本当の答えが眠っている 子供の頃に夢で見た景色がフラッシュバックする。 それはすなわちデタラメだったり、自分に都合の良い嘘かもしれない。 桜井さんはそんな気持ちを真空パックしたいとも歌っている。 それは形のない儚い影だけれど、本当の答えはその中に眠っているかもしれない。 ノートに書いても色褪せてしまうかもしれない。 セピア色の夢。 それもいいのかもしれない。 点と点を繋いだ夢。あらゆる全
生きるってなんだろうと思ったお話 この間、私の精神科の外来があった。 自宅から距離のある病院なので、いつも母が車で送り迎えをしてくれていて、そこで他愛もない話をするのがお決まりの過ごし方。 そこで、この間もいろいろ話したのだけれど、 母方の祖父の話になった。 祖父は、元々愛知に住んでいて、1人でなんでもやる人。 若い時からトラックの運ちゃんで、定年まで勤めあげた。 そんな祖父だったのだけれど、一昨年の暮れに、脳出血で倒れて、すく
連れて行ってくれないか 深い深い闇の中に。シーラカンスのもとに。 光の当たらない静かな場所に。 連れ戻してくれないか 生命の根源に。母なる元に。 僕を、ぼくも。 あどけなかった日の僕は夢中で、深海を追い求めていたんだ。 2020.10.17(イラスト) 2024.4.17(文章) Mr.Children『深海』を聴きながら。
私は寝る前に5つお薬を飲むの。 それもね、不思議な不思議なおくすり。 足が痛い時って薬を飲むと痛みが減るでしょう? わたしはお薬をのんでも、痛みは減らないの。 逆に頭の中がぐるぐるして気持ち悪くなるの。 そしてそのまま朝まで眠り続けるの。 どうやらそれは、痛みを減らすのではなく、 痛みを感じる前にあらかじめ飲んでおくものみたい。 おくすりは、私の血の中に溶け込んで一つになるみたい。 なんか素敵ね。 素敵じゃないかなぁ。 ああ、今日もまたぐるぐるしだした。 おやすみ
ここでは、三人称をあの子としておくことにしました(思想とか歴史とかのあれこれがあるため)。 食べ物で言うとパクチー、クラスメイトだったら彼氏が途切れない子、まあ、そんな感じ。 父はあの子が大嫌いだ。 あまり綺麗ではない、いや、罵倒の言葉ばかり。 テレビや音楽でその子界隈が出てきただけでチャンネル強制変更。実家にいた時はそんな感じ。 私は、あの子が私たちの文化に触れてくれる、たとえば私たちの中で流行っている曲をカバーしてくれたり、私たちが使う言葉で歌を歌ってくれる。しかも美
背景の前置きをすると、私は精神科病棟に4ヶ月いて退院してまだ2日終わった外界にとっては 赤ちゃんか、いや、 怪我で登録抹消された後マウンドに戻ってきたばかりの野球選手のようなものである。 無理しないでねと言われてもやりたいことはたくさんあるし、 さっきの例えでは160キロのボールを投げて完封したいと思うようなものだ。 でも、素直に(のふりをして?) 「わかりましたー!気をつけますね!」と 言ってしまうから厄介だ。 そんな受け答えをどこでもしているので、 周りからは、 ”
閉ざされたドアの中で、約5ヶ月間暮らしたら。 本当に、毎回思うのだけれど、 精神科病棟には沢山の色々や形や心がある。 本当は、それが受容される社会をひっそり願っているけれど、 今の社会でははじかれて居場所が消えてしまい、その代わりに此処みたいな受け口にて、こっそり、こうやって閉ざされた空間でお互いを表現し合うのである。 響くことのない、吸収されてしまい外には聞こえない此処で、私たちは表現する。 笑ったり、泣いたり、叫んだり、殴ったり、叩いたり、暴れたり。 その空間だけ
はなび、はなびのはなびら。 美しくてその時間ごとスケッチブックに閉じ込めておきたいけれど、 そう思うとともに儚く散ってゆくのです。 わたしたちの心もはなびら。 見つめていても、大切にとっておきたくても姿かたちは変わり、何もしなければ枯れて散ってしまうのです。 押し花にしても、ドライフラワーにしてもそれそのものではもはやないのです。しかり。 だから、レンズに写して焼き付けておくのです。 本物ではないけれど、本物のように愛せるから。 今
最近、自分と向き合う中で、トラウマについて考えることが多く、改めて意味を調べてみた。 Google先生によると、 トラウマとは 個人が一般の生活では経験しないような死に直面するような心理的に強い負荷となる出来事のことを指します。 この出来事には、戦争や交通事故等による生命の危険、他者からの個人の尊厳の強い毀損等があります。 だそう。 概ねネガティブな意味なんだなぁ。しかも軽々しく使わない類の。 そう思うとそれについて考える私はネガティブな人間? 確かに自らであれば、生