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2024/4/27 個人的に思った事を ただ徒然に。正直、もうメンドクサイ。そんな本音を吐かせて下さい。

最近思ったこと。自分自身の愚痴とも言える色んな感情。イライラ。全然嬉しくない 楽しくないのをひた隠しにして ポーカーフェイスで日常をやり過ごす日々に、そろそろ自分で疲れてきた。
セクマイ当事者だけど、俺も一人の人だよ!!
人間だよ!いくつになろうとも、傷つくときは傷つくよ!そんな風に、幾ばくかドロドロしい感情。やり場のない怒り。俺自身にも そんな黑に近い灰色めいたものをまた胸のうちに溜めるばかりじゃ俺は俺自身が また潰れるかもしれない。そう感じた。
何がって俺自身の大切なハートがだ。
だから、吐き出して晒してしまえる場所が、どこかに欲しかった。

もう、起承転結も 時系列も まるで無視して ツラツラ書いていくことにする。

作家やライター気取りで 格好良くかしこまって文字を、言葉を、紡いでいこうとすると、また俺はうそぶいてしまうからだ。どこかで取り繕ってしまう。それが嫌なのだ。

今までも、ずっとずっとそうだった。

俺 本当に、ただただ自分が当事者だから、そこを多方面で受け入れてもらえない限りは、自分自身がしんどくなる。と。
そう思って 自分から いちいち 『生まれた時に割り当てられた性別はこれで、けれど今は自分のセクシュアリティは こうで 』だなどと、まだ、言っていかなきゃいけないのかと。そんなことを思う。

少し前までは、Instagramを使ってあえて文章やメッセージを『個人の日記』と称して書きなぐってきたが、今はもう顔見知りばかりが見ているところで、仕事面(ライスワークのこと)にも、下手なように作用して響いたらイヤだなと薄々感じながら 想いを綴るのが煩わしくなった。きっと それが俺の とてもパーソナルな部分の本音だ。

どうしても、俺は俺自身を、
アーティストとしてはこう思う、
セクマイ当事者としてはこう思う、
スピリチュアルセラピストだなどと名乗っていた側の人、いわゆる 今はヒーラーという自覚だが、そういう目線で見ればこう思う、
だなどと切り分ける事が出来ないらしい。
不器用な人なんだろうなと自分ではそう思う。

こうして書いてるうちにも、次々と、『あ、あれも、、、こんな話もみんなに知ってもらいたい、』色々と脳裏には浮かぶ。
色んな【書きたい】が溜まってると思うのだ。
文字数制限のあるメディア、媒体では伝えきらない自らの暑苦しいまでにでてくる想い。
これも一旦、こうして、あたまの中から文字にしてアウトプットしていく作業を、淡々としなければ、俺は、俺が癒やされない。

だから、まだまだ 駄文のまま、
読みづらいかも知れなくても構わずに書き残していこうとしてる。

下書きのまま ずっと置いてあるものや、俺がどこの誰でって知られてる状態では書き辛い本音。それらを順番に書けたらいい。

ソーシャルメディアは利用する側、あくまでコミュケーションの場として気が向けばシェアさせて頂く場として開放し、ここには"本音と建て前"を忘れ、ボロボロこぼれていく本音のぶつけ場所としたい。

そう、俺は、絵を描く人としての描くことも好きだが、こうして文字を書くことも、多分 好きなのだ。きっと。
通知を見たら、このnoteのアカウントは登録してから4年は経ってたらしい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでまた俺は、日付けをまたいだらしい。

もう自分の特性だろう気質が凄く嫌だ。
俺が 俺様キャラ??んなわけないだろと、またひどく疲弊した。
なぜみんな 誤解ばかりするんだろう。
そんなに、いちいち言葉尻を考えて書かなきゃいけないのだろうか。
ストレートな感情を、ぶつけて 投げかけるくらいは自由なんじゃないのか。
出来ないものは出来ないし、
やりたくないものは、やっぱりやりたくないんだよなと。
どう表現すれば良かったという?
好印象にうつるように、
「来いよ キサマら」って書くより
「来てくれたら嬉しいよ🥰」なんて
読み手に不快感を与えないように書くほうが良いのは知ってる。でも、そんなふうにワザワザ頭で 考えて書いたものに、俺の本音などない。

ペラペラで
とても 有りがち な台詞で
イミテーションだらけな事ばかり。

ひとは、とにかく第一印象にうつったものばかりを信じやすい。勝手な思い込み。
そう、思い込みだ。
「キミの色メガネ」というフィルターを通しての俺しか見てないことに まるで気付かない。。世の中バカばっかりかよ?って言いたくもなる。

大事な部分を見落としてるくせに
自分を棚にあげて えらそーに御託並べたり、求めてねーのに勝手にアドバイスをしてきたり、そういうヤツが俺は嫌いだ。
相手が本当に求めてきてからで良いんだよ。

ーーーーーーまたここで日をまたいだ。

質問されてもないことを勝手な解釈で講釈垂れんな。と。押し付けがましいことをサラッという人が居たり、イキナリ土足で踏み込むかのようにメンタルをかき乱すヒトも どうやら俺の世界にはまだ居るらしい。


ヒト←カタカナで書いてる。これは 地球上に住む1つの生命体としての、生物学的呼び名。そういう意味で カタカナ表記している。

ヒトは なぜ そう容易く 何かと何かを比べたがる?
なぜ それぞれに個性や特性を活かし合いながら共に成長しようとしない?
まだ分からないのか お前らはと 
俺の耳や目には 自然神や宇宙存在という 半物質次元 アストラル体で生きる連中の叱責ばかりが届く。
そして人類を代表するかのように
『申し訳ありません。まだ古い地球🌏人達は、小さな世界だけを見て翻弄されてるようです。これはきっと俺の意図の強さが足らなかったせいかもしれません』と、意識を上げる。

ここらで【なんだコイツ?】と、そう思えたヤツは、そっと俺から離れることを選べばよい。

肉体的な俺は あくまで、この俺様の、魂的なハイヤーセルフ 自分自神 の意識が造った結果論である。

本当に 本当に 縁なき者は救えない のだよ。

頭では分かってて でも出来ない。
なんとなく 気乗りしない。
それが答えだ。
気がのらない
気が進まない
それ自体が 『キミの正解』なのだ。

それはつまり、自分の才能を自分で潰そうとするな!という、神からのサインで ある。

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長くなった。ここで締める。

今日 2024/04/29。




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