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物事の捉え方に気を付けるといいという話

 客観的な事実と、それに対する解釈を、混同する人がいる。この2つを上手に分けないと、精神的にすごく疲れる。

 例えば、冬、友人と久しぶりにスキーに行くことになったとしよう。スキー板も数年前に処分してしまった。とはいえ、幼少期から学校の授業でスキーをしていた。昔取った杵柄。今でも十分に楽しめる自信がある。友人は北海道の大学を卒業して、関東の企業に就職した。会うのは15年ぶりだ。北海道旅行の計画の中に、なぜか私と会うというだけの日を設定していた。

 スキー場でレンタルスキーの手続きをする。身長と靴のサイズを告げると用意してくれる。こういうときは、自分が標準の体型でよかったと心底思う。特別に身長が高かったり、特別に足が大きかったりすると、それだけで、チャンスを奪われるからだ。友人はスキーウェアもレンタルしていた。スキー靴を履いて、自分の靴を預けると、スキー板を渡された。板には数字が書かれている。レンタルスキーにはすべて数字が振ってある。管理するためには、必要なことだ。私が渡されたスキー板には、82と書かれていた。友人のスキー板は85だ。店員は、この数字を間違えないようにしてくださいと念を押す。間違えたとしても、靴のサイズが違ったら、スキーを履けないのだけどね。

 天気が良ければ、日差しもあって、暖かいとすら感じるのがスキーの不思議なところだ。昼間からスキーを楽しむ我々にとっては、好都合。久しぶりだから、力の入れ方というより、力の抜き方を忘れてしまっている。明日は確実に筋肉痛だろう。白銀の斜面を滑り降りながら、心地よい冬の空気を吸い込み、少しだけ汗ばんで火照っている体の端々まで冷気を行き渡らせる。15時になる前に、我々は休憩をとることにした。スキー板をロッヂの前に立てかけて、スキー靴を履いたままロッヂに入る。立ち止まると寒く感じるから、ロッヂに入る直前が最も寒さを感じる時間だ。ところが、屋内に入れば、これ以上ない暖かさに見舞われる。こんなに心地よいことはない。首元を開け、帽子を取る。自覚していなかった疲れがどっと押し寄せてくる。鼻水が出る。そして眠くなる。トイレに行って手を洗ったときには、眠気はどこかへ行ってしまった。軽食をとろう。アメリカンドッグに砂糖をかけるなんて考えられない。ここは怒っていい。このスキー場のアメリカンドッグはいつから砂糖をかけるようになったんだ。ありえない。ケチャップでなければいけない。なぜこんな愚かなことになってしまったのか。これは政治のせいだ。民主主義を舐め腐っているんだ、あの連中は、もちろんそれだけではない。我々が、自分のこととして政治を考えないといけないだと、友人に小一時間話してしまった。私の無駄に作り上げた熱意もそこそこに冷めたところで、体力も回復してきたから、またゲレンデに向かおうということになった。

 ロッヂから出て、スキー板を取りに行くと、友人のスキー板がみあたらない。85の数字が書かれたスキー板がないのだ。友人は叫んだ。
「スキーを盗まれた! どうしよう! 盗まれた!」
ヒヤッとした私は、こう言った。
「それは違う。なくなっただけだ。そんな言い方は違う。」
それでも友人は言い続ける。
「俺のスキーを盗みやがって。俺の楽しみを奪いやがって。どうしてくれるんだ。」

 わかりきっていることだと思うが、説明しておこう。もちろんスキー板は盗まれたわけではない。レンタルスキーを間違えて持っていった人がいた。それだけだ。レンタルスキーはデザインが同じものがほとんどだ。だから数字で管理している。スキー板には雪がつくこともある。数字が見えにくくなる。というか、数字をしっかり覚えていられない人がいても珍しくない。試しにとってみて、スキー靴のサイズが合えば、正直、誰も困らない。だって、はけるのだから。それに、そもそも、他人のレンタルスキーを盗む理由がない。高価なものでもない。売ってどうする。誰かに迷惑をかけることも、自分の利益になることもない盗みを働くなんて、と思うのだが、まあそう考える人もいる。私の友人は、被害者としての意識が強い。何か、自分にとって不都合なことが起きると、自分を被害者だと思ってしまう。そして、どこかの誰かを加害者にしてしまう。
 
 ものがなくなったことは事実だ。置いてあったはずの場所にない。事実はここまでだ。誰かが故意に盗んだのかもしれない。誰かが間違って持っていってしまったのかもしれない。係員が回収したのかもしれない。置いてあったはずの場所を間違えたかもしれない。事実を超えれば、それは憶測にすぎない。決めつけてはいけない。可能性の一つとして考えることはあっても、「盗まれた!」と決めつけて叫ぶのは、避けたほうがよい行為だと思う。自身の解釈を事実として認識してしまっている。解釈の余地を残さない。しかも、存在しないかもしれない加害者を生み出す。被害者としての感情が芽生え、架空の加害者に対する憎悪が生まれる。いないかもしれない相手に対する憎悪によって、気分を害されるなんてことが起きている。勝手に悪者を作り出すと、自分も周りの人たちもいい気分ではない。もっと気楽にいこう。

ところで、ロッヂとロッジはどちらでもいいのかね。

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