傷ついたと伝えることは難しい

私は自己紹介で発達障害であることや、真ん中の性別でいたいことを伝えたり伝えなかったりすることがあります。
必要性を感じないから、その場での私の看板をマイノリティであることにしたくないからなど理由はその時々によります。

昨日小さなディスカッションの会で、私は言葉を選ぶことに失敗してしまいました。
その場にその発言によって、傷つく人がいるかもしれないと頭を回すことができなかったのです。
私の「ことば」に相手から「ことば」が返ってきてはじめて、傷つけてしまったことに気がついた。
私は深く反省をしました。

それと同時に私が自分のマイノリティ性を開示して、その場に参加していたらどのような「ことば」が返ってきていただろうとも思ったのです。
私も相手から返ってきた「ことば」によって、傷ついてしまった。
結局私も傷ついたのだということを昨日はうまく伝えられなかったように思います。

よく言われるんです。
「鈴は発達障害には見えない。性別の悩みがあるようには見えない。」
その気持ちもすごく分かります。一般論でも女性の発達障害者は擬態することが上手いと言われています。
でも実際の私はさまざまな場面で、社会からの疎外感や孤独感を感じてきました。
日々すごく悩みます。はじめましての方々にどこまで伝えなければいけないのだろうか。伝えた方が私や相手のためになるのだろうか。
そもそもどちらかの利益のために伝えるものなのだろうか。

傷ついた経験のある人は自分が傷ついたというその経験だけで精一杯な方も多いのだと思います。昨日の私も自分との距離が遠い話題であったことで、不用意な発言に至ってしまった。

自分が傷ついたことがあるからこそ、誰かの傷に目を向け、誰もが傷ついたことがあるんだと想像し、常に思いを込めた「ことば」を使える私になりたいと改めて思いました。




ここからはただの私の悲しみですが、傷つけてしまった方の「ことば」を受け取ったあとに『私に女性であること以外のマイノリティ性があるように見えますか?』と質問をしました。
とてもいじわるな質問であることは分かっていましたが、昨日の私は我慢できなかった…。
相手の方は即答で『いいえ』と答えられました。
先ほどまで自らのマイノリティ性について、事細かに述べられていた方に、数秒も待たずに『いいえ』と言われたことは、さすがにショックでした。
私がマイノリティであることを分かって欲しかったわけではなく、私のマイノリティ性を想像もしてくれないものなのかと悲しい気持ちになりましたね…。
相手の方を悪く言いたいわけではなく、全て思いやりなのかもなと思います。これからも私は私のできる範囲で考えていきます。

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