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□□□とボードゲーム(1.5)〜デュシャンとチェス(続々:《階段を降りる裸体、No.2》)

前回の記事はこちら。

今回は、またまた戻って前々回の記事

『マルセル・デュシャンとチェス』を引用しつつ、アレコレと書きます。

『マルセル・デュシャンとチェス』の章立て

『マルセル・デュシャンとチェス』の構成ですが、序章とあとがき、そして第一章から第六章となっております。
6。
チェスの駒の種類と同じ数なのは、意図しているのか……どうなんでしょ。

6つの章タイトルを引用します。

第一章 絵画からチェスへの移行
第二章 名指されない選択の余地
第三章 四次元の目には映るもの
第四章 対立し和解する永久運動
第五章 遺された一手をめぐって
第六章 創造行為、白と黒と灰と

おお、今更ながら驚いたのは、章タイトルの文字数が揃っているではないか。

(1.2)(1.3)では、第二章からいろいろとネタを拾ってきました。
今回は第一章より取り出してみます。

《階段を降りる裸体、No.2》

《階段を降りる裸体、No.2》は1912年にデュシャンが制作した油絵です。

この絵画の写真は、たとえば下のブログなどにあります。

No.2というからには、No.1もあります。
この絵画の写真は、たとえば下のブログなどにあります。

No.1はやや描かれたモデルが2つ3つ重なっているようにみえますが、No.2はもっとたくさん重ねています。
言ってみればストロボ写真のような表現で描いたわけです。
実際、この絵画のインスピレーションは、写真家エドワード・マイブリッジが1887年に撮影した連続写真「階段を降りる女」によって触発されたそうです。

さて、《階段を降りる裸体、No.2》ですが、アンデパンダン展(無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展)で発表しようとしたのですが、開催日前日になんと拒否されます。
しかも、キュビズムの作家たちから。

【引用1】
ピュトー・グループの画家たちは《階段を降りる裸体、No.2》がキュビズム的でないと判断し、デュシャンの兄たちに、少なくとも、画面に書き込まれていた「階段を降りる裸体」というタイトルを変えさせるように伝えたのである。彼らは対象を動的に描いた作風がキュビズムに合わないと考えた。【引用2】
キュビズムとは、静止した対象の周りを画家が動き回り、複数の視点から描くものである。ほぼ同時期にイタリアで起こった未来派のように、対象自体が動き回るキネティスムではなかった。

引用:『マルセル・デュシャンとチェス』P55-56

そうなのかあ。
キュビズムはよくわからん、という人は少なくないのですが、そのキュビズムがデュシャンの絵画をみて「よくわからん」と言っているようなもんですな。

「階段を降りる裸体」と詰将棋

将棋には、王将を捕獲する(詰める)ことを目的とする、模擬的な配置の問題を作って遊ぶ「詰将棋」があります。
チェスにも同様なものがあり、「プロブレム」と呼ばれます(意味は「問題」でそのままです)。
とりあえずイメージが湧きやすいように「詰将棋」で押し通していきます。

【引用1】【引用2】を、詰将棋でたとえるとこんな感じ。

・普通の絵画(静物画)は、1手詰の詰将棋で、詰めるのに動かす駒は唯一つだけ決まる。
・キュビズムも、1手詰の詰将棋で、詰めるのに動かす駒は複数ある。
・《階段を降りる裸体、No.2》は、11手詰の詰将棋

将棋頭脳の次元がちがうというか、級段がちがう。
棋士は詰将棋の初期配置を見て、連続した一連の駒の動きを追っていけますが、素人や初心者だと見ただけで降参してしまう。

デュシャンのチェス脳真骨頂によって《階段を降りる裸体、No.2》が生み出された、かも知れません。

ところで、イタリアで起こった「未来派」は、相当に前衛的。
ただ、このムーブメントをメディア利用したのがムッソリーニで、ファシズムと関連づけされてしまう不幸なことになっています。
ちなみに、同時代にロシアもこれまた前衛的な「ロシア未来派」が起こっております。

そうそう、タイトル差し替えてと突っ込まれた当のデュシャンは、このあとどうしたか。
返答せずに、会場にタクシーを乗り付けてセッティング済の《階段を降りる裸体、No.2》を外して持って帰りました。

【引用】
これが「画家」であろうとしたデュシャンにとって、自由だと信じていた兄や芸術家たちから冷たい仕打ちを受けた記憶として強く残ったのである。

引用:『マルセル・デュシャンとチェス』P55-56

この時期のデュシャンは「連続」に関心興味を持っていたようで、その理解を絵画への表現にしたひとつの結実が《階段を降りる裸体、No.2》であり、「連続」を表現するチェスに対する関心も膨れ上がっていった、のではないかと。


締めとおまけ

ということで、今回は《階段を降りる裸体、No.2》にまつわることを書いてみました。
おまけですが、さまざまな画家、芸術家、アーティストが《階段を降りる裸体、No.2》をモチーフにして作品を制作してます。

その中でも、「階段を昇る裸婦」と逆方向に移動しちゃった2つの作品をおまけで紹介します。

チュッパチャップスでおなじみの(そうか?)サルバドール・ダリは彫刻『階段を昇る裸婦 マルセル・デュシャンに捧ぐ』を1973年頃に制作しています。
この作品は、日本にもありまして香川県東かがわ市のとらまる公園にあります。

これまた抽象画家のジョアン・ミロが厚紙に鉛筆と木炭で描いたスケッチ『階段を昇る裸婦』を1937年に制作しています。

絵画の写真は、日本版Wikipediaにはありませんが英語版にありました。

ほかにもパロディが強い作品もあるので、デュシャンの影響力はやっぱり凄いです。

次回どうするかは、相変わらず未定です。
まあ、気に留めずにぷらっとお立ち寄りください。

では。

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