雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今ま…

雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今まで歩きながら撮り溜めた写真など、街道歩きの軌跡を記録として整理したく、このページを立ち上げました。 古いものから時系列に紹介していますので、内容が最新ではないこと、ご容赦下さい。

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

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    • 雑司が谷散人の街道遊歩 0640

      中山道 1日目-14 2018.12.29中山道旧道左手に、富士大山道道標と庚申塔。 ここから左へ入る道は、川越街道下練馬宿を経て大山へ向かう富士街道の道筋。 庚申塔は万延元年のもので、側面には「是より富士山大山道 練馬江一里 柳沢江四里 府中江七里」とある。 中山道旧道は清水坂の下りへ。 ここは江戸からの中山道では最初の難所といわれた場所で、荒川右岸の低地へ下る急坂が大きく曲がりながら続く。 その大きなカーブ故に、中山道で唯一「右富士」といわれたのが、ここ。 坂の途中、坂

      • 雑司が谷散人の街道遊歩 0639

        中山道 1日目-13 2018.12.29志村一里塚に近づく国道17号。 右手の一里塚手前に、齋藤商店。 明治20年創業の原木商。 今は竹製品が多い。 建物は昭和8年築。 国道17号は志村一里塚へ。 日本橋から2里目。 左右の塚がほぼ往時のままの姿で残されている貴重な事例。 もともと道の際から離れて塚があったのが幸いし、昭和8年から始まった道路拡張でも、そのままの位置で残ることができたという。 志村一里塚にある国指定史跡の碑。 この碑そのものが古そうだが、志村一里塚の史跡

        • 雑司が谷散人の街道遊歩 0638

          中山道 1日目-12 2018.12.29板橋で越えるのは、石神井川。 板橋から王子を経て隅田川に注ぐ。 今も王子駅手前には音無溪谷と呼ばれる深い谷状の流路があるが、かつては板橋から少し下流の加賀付近から深い谷が続いていたという。 板橋を過ぎると、中山道旧道は仲宿から上宿へ。 仲宿の賑わいはひと段落。 かつての上宿には、木賃宿や馬喰用の宿などが多かったという。 上宿の中山道旧道右手に縁切榎。 街道の目印として植えられた榎だが、ここを嫁入り行列が通ると不縁になるといわれた不

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0637

          中山道 1日目-11 2018.12.29中山道旧道は平尾宿から仲宿へ。 仲宿交差点は今も旧道商店街の中心地。 この交差点から南への道は雑司が谷方面への高田道。東への道は王子への王子新道。 中山道旧道右手に、板五米店。 煉瓦造りの妻壁がせり出した独特の土蔵造りで、大正6年築。 「板五」とは旧板橋5丁目の意で、表からは見えないが、裏手の敷地内には煉瓦造りの蔵もある。 板橋宿の本陣は、仲宿の飯田本陣。 名主と脇本陣を兼ねた飯田宇兵衛門家からの分家で、飯田新左衛門家が務めた。建

          雑司が谷散人の街道遊歩 0637

          雑司が谷散人の街道遊歩 0636

          中山道 1日目-10 2018.12.29板橋駅北側でJR埼京線の踏切を渡る中山道旧道。 踏切名は「赤羽線 仲仙道踏切」。 赤羽線が埼京線となったのは昭和60年。 但し埼京線は運転系統上の名で、正しくは今も赤羽線。 「仲仙道」「中仙道」などの表記は、享保元年に「中山道」に統一。 といっても、その統制力は弱かったということか。 中山道旧道はJR板橋駅前へ。 板橋駅の開業は日本鉄道時代の明治18年。 板橋宿までは600メートルほどの距離がある。 中山道旧道は板橋郵便局前交差点

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0635

          中山道 1日目-09 2018.12.29都電庚申塚電停を過ぎると、地蔵通り商店街からの人混みも徐々に落ち着き、西巣鴨へと入る。 中山道旧道に面して、古い商家もちらほら。 巣鴨付近の中山道には、種子屋街道の別名があった。 三軒家の地名もあり、これは種子屋が三軒あったことによる。 種子屋は農家の副業から発展したといわれ、江戸期には野菜の種子の生産地として知られた。 旧道右手に残る東京種苗は、かつての種子屋街道の名残りの一つ。 建物は明治期の築。 中山道旧道は掘割交差点へ。

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0634

          中山道 1日目-08 2018.12.29地蔵通り商店街に入ると、右手に地蔵尊煎餅むさしや。 大正2年創業。 巣鴨の代名詞「とげぬき地蔵」高岩寺。 慶長元年に湯島に創建され、下谷屏風坂を経て明治24年に巣鴨へ。 本尊「とげぬき地蔵」は秘仏。 境内で行列ができるのは、洗い観音。 観世音菩薩坐像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという。 地蔵通り商店街左手に、清水畳店。 明治38年創業。 庚申塚交差点の右手角に、巣鴨庚申塚。 このあたりは立場として賑わった場所。 飛鳥

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0633

          中山道 1日目-07 2018.12.29国道17号右手に大円寺。 天和の大火の火元といわれ、大火は後の八百屋お七の放火事件のきっかけとなった出来事。 そのお七供養のために享保4年に建てられたのが、境内のほうろく地蔵。 地蔵が熱したほうろくを被って焦熱の苦しみを受けるといわれ、祠には願い事を記したほうろくげ積み上がる。 国道17号は白山上交差点へ。 近くの白山神社に因む地名。 中山道の通る高台側が白山上、地下鉄白山駅方向に下ると白山下。 国道17号は巣鴨駅へ。 その手前、

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0632

          中山道 1日目-06 2018.12.29国道17号は東大正門前へ。 明治45年完成。 伊東忠太の設計による。 国道17号から左手の路地へ少し入ると、万定フルーツパーラー。 大正3年創業。 フルーツパーラーは創業当時の姿で、今はカレーが名物。 建物は昭和3年築。 国道17号は本郷追分へ。 ここは中山道と日光御成道(岩槻街道)との分岐点。 直進が御成道で、中山道は左折。 角の高崎屋は、寛延4年創業の老舗。 江戸期には両替商も兼ねた。 本郷追分からは道幅の狭まる国道17号。

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0631

          中山道 1日目-05 2018.12.29天堅屋の脇から僅かな区間ではあるが、国道17号から離れた中山道旧道がある。 小さな手作りの道標が嬉しい。 国道17号は本郷3丁目交差点へ。 角に「かねやす」。 京都の口中医、兼康祐悦が元禄年間に歯磨き粉「乳香散」を発売。 これが人気となり、小間物店「兼康」を開業。 暖簾分けの芝「兼康」との争いで、大岡裁きにより「かねやす」とひらがな表記に。 本郷もかねやすまでは江戸のうち。 本郷3丁目交差点の少し先から左へ入る道は、菊坂。 樋口一

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0630

          中山道 1日目-04 2018.12.29万世橋高架橋に沿って進むと、神田川(外堀)を渡る昌平橋へ。 寛永年間の架橋といわれるこの橋は、当初は近くの一口(いもあらい)稲荷から一口橋と呼ばれたが、元禄4年に湯島聖堂(孔子廟)建設の際、孔子の生誕地、魯国昌平郷に因んで昌平橋と命名。 昌平橋を渡ると、中山道は再び国道17号となり、総武線の松住町架道橋をくぐる。 昭和7年に総武線が御茶ノ水へ延伸された際に、交差点を斜めに跨ぐ形で架けられた橋で、日本の鉄道橋としては初のタイドアーチ橋

          雑司が谷散人の街道遊歩 0630

          雑司が谷散人の街道遊歩 0629

          中山道 1日目-03 2018.12.29国道17号中央通りは須田町交差点へ。 交差点手前に日本橋から1キロのキロポスト。 草津まではあと507キロ。 須田町交差点の廣岡株式会社東京支店ビル。 スクラッチタイルのシンプルな外観は、昭和モダニズムの現れか。 昭和10年築。 須田町交差点から国道17号を離れ、廣岡ビル脇の旧道へ直進する中山道。 左手の路地へ入ると、甘味処「竹邑」。 戦災を免れた貴重な建物。昭和5年築。 竹邑の向かい側には、あんこう鍋の「いせ源」。 創業は天保

          雑司が谷散人の街道遊歩 0629

          雑司が谷散人の街道遊歩 0628

          中山道 1日目-02 2018.12.29日本橋からの中山道は、国道17号。 この先群馬県高崎までは、国道17号が中山道の踏襲路線。 室町3丁目交差点までは国道4号との重複区間。 国道17号中央通りは今川橋跡へ。 今川橋は神田堀(竜閑川)を渡した橋で、天和年間の架橋。 当時の名主今川氏の尽力で架橋されたという。 堀の暗渠化による橋の撤去は昭和25年。 今は痕跡も無い。 国道17号中央通り左手に、山梨中央銀行東京支店。 小ぶりだが堅牢な銀行建築。昭和6年築。当時は第十銀行東

          雑司が谷散人の街道遊歩 0628

          雑司が谷散人の街道遊歩 0627

          中山道 1日目-01 2018.12.292016年11月6日に東海道の旅をスタートして以来、日本橋を通ることは何度かあったが、街道歩きの旅としては2年ぶりに再びこの地へ立つこととなった。 およそ2年で東海道を歩き終え、今度は中山道の旅。 これから出会う様々な街道風景に思いを馳せ、改めて草津宿までの長丁場に挑む。 日本橋北詰東側に、日本橋魚市場発祥の地の碑が立つ。 日本橋魚河岸の発祥は、家康が江戸へ呼び寄せた佃村の漁民たちが、江戸城へ献上する以外の余った魚を日本橋の河岸で売

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          京街道 2日目-13 2018.12.19京街道旧道右手に妙見宮常夜燈。 枚方宿を構成した4ヶ村のうち、岡村と三矢村の境。 京街道右手に大きな妻面を見せる商家は、旧塩熊商店。 享保年間創業の塩屋で、赤穂の塩を販売した。 建物は明治31年築。 旧塩熊商店は、くらわんかギャラリーとして公開されている。 淀川水運の中継港として栄えた枚方宿では、船から宿の船宿に向けて「餅くらわんか、酒くらわんか」と賑やかに叫びながら酒や食べ物を売るくらわんか舟が名物だった。 枚方宿の中心地、三

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