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“暗闇の中の対話”から得た感覚をメタファーとした、 変革期を迎えた組織におけるリーダーシップの考察 〜2017年ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験レポート〜

Dialogue in the dark 概要

ダイアログ・イン・ザ・ダークはひとことで表現すると、「まっくらやみのソーシャルエ ンターテイメント」である。全世界39か国延べ800万人以上、日本でも1999年以降開催さ れ約19万人が体験している。1988年にドイツのハイネッケ博士が開発した体験型エンター テイメントであり、完全に光を遮断した空間の中へ、8人グループで入り、“暗闇のエキスパ ート”である視覚障がい者のアテンドのもと暗闇を探検し、様々なシーンを体験していく。 その過程で視覚以外の感覚の可能性と心地よさを感じ、そして自分、他者、仲間とのコミュ ニケーションの大切さ、あたたかさを再確認するのである。 2017年当時に私が体験したアクティビティは「ベーシックプログラム」。暗闇の入口の前で、参加する初対面の8人が仲間として顔を見回す。その後、中に入り視覚障がい者のアテンドが 紹介され、視覚障がい者の必須アイテム「白杖」のレクチャーから始まる。カーテンの奥に 入り、アテンドの声を頼りに、白杖を突きながら何の情報もない、完全な暗闇、いわば未知 の空間へ恐る恐る各々進んでいくのである。靴底から足裏、杖先の拡張感覚で感じる丸太で できた太鼓橋やベンチ、石段、草樹や土の匂い、水の流れる音、突如流れる空調からの涼し い風、鳥やカエルが鳴く、そんな暗闇の中を周りの仲間の声で情報共有をしあい、動きにく さや、不安を感じ、足がなかなか進められないながらも、アテンドや仲間の声による存在に 安心、温もり、心理的な明るさを感じながら進んでいく。真っ暗闇で見えない芝生の上で鬼 ごっこをしたり、ブラインドサッカーの鈴の入ったボールを転がしキャッチボールをした り、仲間と背中をくっつけ、湿気や体温を感じながらお互いの話しをしたり、暗闇のバーで 飲み物を注文し、お金を支払い、皆で乾杯し、グラスが当たる音、グラスの微細に振動する 感触や冷たさ、ビールをグラスに注ぎ、泡が立ち弾ける音、その贅沢な音に歓声をあげる仲 間の声や、暗闇で見えないはずの表情、ワインや紅茶の香り、つまみを味わいあう。

暗闇を共に進む仲間として認め、視覚以外の感覚を存分に使うコミュニケーションをとり ながら、純粋に仲間のその存在、位置、行動、状況、感覚に興味関心を持ち、自分の感覚を 伝える。視覚情報による勝手なイメージや認知を取り払った「仲間を対等な存在として認め た対話」が大いに感じられる、温かさと心地良さを覚えた90分間のプログラムであった。

暗闇で感じ、考えたこと

まったく何も見えない状況でも、「視ようとしている自分」がいる。しかし、みえるはず がない。光が完全に遮断されているのであるから当然である。そんな「視ようとしている自 分」がいることに気づいたとき、この暗闇の環境下を楽しみ、サバイブするに有効なものを 使っていこうと、白杖と自分自身のすべての感覚で感じて、イメージをしようとする自分に 移り変わっていた。
当初、緊張も怖さもないと思って暗闇の中へ入っていったのだが、そのうちに恐怖・不 安を感じているのか、身体が硬くなっている、縮こまっている、歩幅が狭くなっている自分 に気づいた。何に不安なのか、意識を身体の硬さや足の動きにフォーカスする。  暗闇で何につまづくか、転んだら恥ずかしい、人に激突したら大変だ、そんな不安が防御 姿勢や慎重な動きになっていたことに気づく。それと同時に、もっとガツガツ動きまわりた いと、少しイラついている自分もいた。物足りない自分にジレンマを感じていたのである。  そんな時、仲間の動いている音、ガサガサと身体が草木にこすれる音、白杖が地面を叩く 音、水の流れる音、「あっ!木だ」「こっちは壁」「ブランコがある」「洞窟みたい」「橋がある」。
あちこちから聞こえてくる仲間の報告を聴き、声の距離感から意外な広さを感じつつ、自分も「ここはベンチがある」と情報を伝えた。

仲間の声を聴くと少し恐怖が和らぎ、音や声の情報もあり、周辺の状況が判りつつある と、体内感覚として「ほのかな明るさ」を感じた。安心感が感じさせてくれたのだと思う。  「そう、ここは公園です。他に何があるか、公園内を探検してみてください」とアテンド が言う。情報が一気にまとまり、腑に落ち、イメージがより明るくなったところで、不安感 や恐怖心がだいぶ消えて、歩幅も大きく、暗闇の公園内を探検している自分がいた。 自分が行うべき行動とそのモチベーションを、言葉という温かい光に照らされたようで あった。仲間の言葉、情報共有によりイメージが出来、暗闇は変わらないが、自分の認知が 変わり、あるものが判ることで安心感が強くなり、勇気づけられ行動促進されたのである。  私が体内感覚として「ほのかな明るさ」を感じたというのは後から推察してみると、サブ モダリティの変化がおこっていたのだと思う。サブモダリティというのは、NLPで論じられ ている五感従属指標のことで、人はビジョンや視覚イメージの明るさが強くなるほどポジテ ィブに、鮮明な感覚になるほど強烈な体験になるのである。  そして、暗闇にある段差や、境目、壁などについての報告で「こんな感じ」と発言者のニ ュアンス的に言われてもよく理解できなかったり、探検していい範囲を提示されず暗闇の中 でここにきてて良いのか、どこまで行って良いのかという迷いで、行動が緩慢になってい た。「なんかある」「気をつけて」と注意を促されたり、「進んでください」「橋を渡って ください」「席に座ってください」と指示される。
暗闇の中そこに何があるかわからない、どう動けばいいかわからない(手段)、どこに向 かえばいいかわからない(目標)、どう気をつけたら良いかわからない。そんな時、仲間た ちは各々自分の思うように動き出す。それは当然のことであろう。その環境で適応し、自分 の仕事を全うしようと思考錯誤するのである。そこで大切と思ったことは、共通の目的、つ まりビジョン(WHY)をつくり、やってみること(WHAT)を皆でアイデア(HOW)を出 し合い、共有する。そして、やってみようと確認をしあう。  この「具体的に共有する」ときに五感(VAK)とサブモダリティを駆使し、さらには4W 1Hを組み込み、タイミングや誰に何をするなど行動のディテールを明確化していくことが行われていた。いままで理論を理解し意識していたつもりであったが、その実践ができてい ないことを痛感させられる体験が次に述べる暗闇の瞬間にあった。  芝生の上で仲間で円になり、ブラインドサッカーのボールでキャッチボールをすることに なって、アテンドから最初にボールを渡されたのは自分であった。  自分が取った行動は、漫然と目標もなく「とりあえず円になっているので、ゆっくり転が せば誰かの足元に転がるだろうから、なんとかなるかな」と「では、転がします」といって 転がしたのであった。次の人も同じようにやってみたが、人の隙間を転がっていき、円の外 に出て行ってしまった。不確実性が高い行動であった。次の人は改善案を実行してみた。 「○○さん、どこ?」投げたい人の名前を呼んで「はい、こっちです」と相手に返事をして もらう。そして、投げ手の合図とともにその声のした方向にボールを転がす。ボールはうま い事意図した相手の足元に転がっていった。ここから皆の転がすまでのペースが格段にあが った。不安がなくなり楽しんでいることが伝わってくる。  名前を呼んでから転がすパターンをやっていて感じたことは、視覚的には見えていないの であるが、脳内というか感覚として、円の配置と距離感、どこに誰がいて、ボールを転がす ルートがほのかな明かりに照らされていたのである。逆にイメージがない時は、迷い不安を 感じ、心象は真っ暗であった。
つまり、「望む状態のイメージが出来た時、人はそのイメージの実現に向かうベクトル(意 欲の方向性)が出現する。いうなればモチベーションである。ここができると積極的に行動 化でき、パフォーマンスは向上していく」ということを暗闇の中の体験から学ばせてもらった。

学びを活かした「リーダーシップ」

『Dialogue in the dark』の体験から学んだことは、私たちは普段視覚に囚われていること が多く、しかも自分の感覚のみで生活し、コミュニケーションをとっていることが多いので ある。それは、自分目線の独りよがりのコミュニケーションとなってしまう。
「なんでわかってくれないんだよ!」「なんで出来ないんだよ!」と後輩・部下・先輩・ 上司に思ってしまったことはないだろうか。
 おそらく、ほとんど全ての人が思ったことがあ るのかと思う。
なぜ、そうなってしまうのか。
見え方、聞こえ方、感じ方、ゴールまでの距離、立ち位 置、役職、役割は一人ひとり異なることを、まずは認識しておかなければならない。
・「自己認識力」、
・「俯瞰する力」、
・「相手の立場にたつ力」が必要といえようか。

 目的に向かい、実際の現在現実に能動的にアプローチするのであれば、現在現実の自分と周 囲の状況を正確に認識していることは必須である。
その為には、自分ではない人からフィー ドバックがないと、独りよがりになってしまうこれも対話がないと手に入らないものだろう。対話がない、自己認識がない、現場認識がない、信頼関係がない、理念が形式的なもので意義がない。
どれひとつ欠いても、相手には「伝わらない」だろう。

 また、対話とは何なのか。
ただ、「仲良く温和に」していればいいチームなのか。飲み会 や食事会に行って、そこに各々「ビジョン」「ミッション」「バリュー」「信頼関係」があ るのか。現在現実のフィードバックもさることながら、意義ある対話がなされているのか。意義とは「目的」に対し自分を隠さずお互いの理解と行動ををつくっているかであろう。
 組織として拡大すること・変革することは、何を達成したいがための方策なのか。
 組織として、地域社会にどんな影響を与え続けるのが使命なのか(ミッション)、地域社会や住 民、スタッフ、利用者がどんな状態(いつ・どこ・だれ・なに・どんな、見える・聞こえる、 感じる、思考・感情・行動)になっていることをやりたいのか(ビジョン)、どんな方針・ 価値観で取組んでいくのか(バリュー)、まず何を通過すること目指していくのか(目 標)、具体的にどんな方法をとっていくのか。自分はどんな役割を期待されているか。
どの条件・範囲で動いていいのか。

変革期(トラジション)に当たって、「どうなるの」「なにがしたいの」と暗がりで不安に思い、行動化が促進されていないチームメンバーに対し、リーダーはまず「ゴール」を語る。
そのゴールの状態の詳細ストーリーを語る。
そして、そのゴールを達成している意義を語る。
暗闇の先に目指すべきゴールがまぶしく照らしだされる。しかし、それだけではゴールへ向かう道程はまだ暗い。バリューや通過地点である目標、方法を高らかに語る。
そうやって、明るいゴールへ続く「道程」をも明るく照らすのである。

道は1本ではない

いくつもの道や選択肢はあるだろう。
より詳細に、これならやれる、もしくはこうやりたいと感じ ることができた道は、より明るく照らされ、自分らしくメンバーにも認められた方法で歩く 道は温かく、その道を歩く喜びを感じられるのではないか。その喜びを感じられる道を対話 により引き出し、一緒に考えていくものであると考える。

 人間は動物である。本能、感情をもつ動物である。それ故に幸せというものを感じるので ある。「やれ!」「うごけ!」という上司や企画部門からの指示に関しても、自分が幸せになれない、 恐れや不安を感じるというものには、
極端なことをいってしまえば、「動けない」のである。
 それ故、リーダーがやるべきことは何なのか、「昭和の黒幕」と言われ、戦中戦後の歴 代首相に師事を乞われた安岡正篤氏の言葉から、暗闇で感じたことをメタファーとして考察 したリーダー像を表現してみる。

【安岡正篤 語録】

「内外の状況を深慮しよう。このままで往けば、日本は自滅する外はない。我々はどうする ことも出来ないのか。我々が何とかする外ないのである。我々が日本を変えることも出来る のである。暗黒を嘆くより、一燈を点けよう。先ず、我々の周囲の闇を照らす一燈になろ う。微かなりとも、一隅を照らそう。手の届く限り、到る所にわが燈明を連ねよう。一人一 燈なれば万人万燈である。日本は自ずから明るくなる。是れ一燈照隅・万燈照国である」

リーダーは指示するのではなく、行き先を照らし、道を歩き、道を拓き、後に続く者を先 導する、暗闇の「先導者」である。
まずは自分自身を燈し、
一番近くの人を照らし、
その人 の歩く道も照らすと同時に、
その人のこころも「燈す」のである。

 つまり対話により、ビジョンを描き、共有し、何をするか確認し、お互いの存在感を確か
め合い、範囲条件と役割(責任)を与えられると、人は自分の目的地に繋がる道に「明る
さ」と「温かさ」を感じ、それらの感覚に勇気づけられることによって、行動を促進される
のである。

 それは、信頼関係と共感によるコミュニケーション、つまりは『ダイアログ(対話)』に より、個人の行動はエンパワメントされ、目的・ビジョン・目標達成に向け個人のパフォー マンスは上昇していくのである。

 以上、変革期に求められるリーダーシップの考察である。

 暗闇をトラジションの中にいる自分とチームスタッフの心理的状況に喩えてみるのが、 しっくり来るなという感覚から今回の体験になったわけだが、暗闇は実は明るく、人の温か さを感じられる心地よい対話の場であった。自分自身、まずは一番近くの仲間を、チームを 「対話」により照らし、燈していきたい。【了】

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