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【自分事か、他人事か】



 希望面談期間により、B日課です。B日課のときの清掃は自教室清掃です。
 自ら仕事をつくるチャンスがあること、一見人が嫌がることに挑戦するチャンスがあること、誰と一緒にやるかではなく「綺麗にする」という目的に向かって多様な他者と協働するチャンスがあること。以上の理由から。自教室清掃は、個人としても集団としても成長する機会が多くある時間です。 
 「今日はどんな仕事が生まれるのか?」「誰が誰と手を貸し合って、どこをどう掃除するのか?」など、毎度わくわくしています。
 先日は、習字終わりのゴミ箱の乱れに気づき、ゴミを集める仲間たちがいました。その時の授業の内容やスケジュールにより、教室の汚れ具合は微妙に異なります。そんなかすかな変化に気が付くアンテナの高さは素晴らしいものです。さらに、そのゴミ袋をもって各教室を回り「一緒にまとめて捨てますよ!」とゴミを集めたそうです。
 1年生教室にいった際には、1年生教室の床をほうきではくなど、掃除のお手本をお願いされ、立派に務めてきたとのこと。
 そんな報告を誇らしくしてくれたその仲間たち。学級を超えて、学校のために自ら仕事をつくる姿はとても楽しかったです。
 
 4年1組を掃除する仲間たちは「いつもやっぱりホコリがたまっちゃうね。」「このままじゃまずいよね。」「机の下とかもはこう!!」などの会話をしながら、掃除をしていました。
 
 真っ先に、ほうきをもつ子も、真っ先にぞうきんをもつ子も、「もったいなくて書けないよ〜!」と思うほど黒板を綺麗にしてくれる子もいます。

 ここで紹介した姿の1つの共通点に「自分事」があると思います。
 
 この教室を、この学校を「自分たちのもの」として、捉えています。それゆえに「自分たちで綺麗にするもの」「自分たちで整えるもの」と当たり前に思えている。

 これが自分事であるということです。
 
 自分たちのこととして捉えているから、「自分たちがなんとかしなければ」となれる。

 反対に惜しい場面もあります。

 これは、自分たちのこととして捉える「自分事」ではなく「他人事」です。

 自分の雑巾ではないから、自分のモップではないから。
 だから、それ見てもなんとも思わない。誰かのものが勝手にそれなりになっているだけ。アンテにも引っかかりません。
 これが、「他人事」でとして、捉えてしまっているときの状態です。

 自分が眠りにつく部屋に大きなホコリがあったら、紙屑があったら、濡れた雑巾が床に音いていたら、モップが倒れていたら、、、きっと居心地が悪くて仕方ないと思います。
 そのままになんてしてられません。

 けれど、教室、学校となるとその感覚が鈍くなってしまうことがあります。

 この教室を使っているのは誰か。この教室は誰の教室なのか。この学校は誰の学校なのか。

 こうして、「自分事」として捉えることで、ポジティブな行動はぐっと増えてくると思います。

 それが、より良い学校をつくること、より良い教室をつくることにつながるでしょう。

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