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誰にも渡さない黒海

黒海はロシアとトルコの間にあり、中東5つ「海」の一つです。(アラビア海、地中海、紅海、黒海、カスピ海(湖))

黒海という名称は海が黒色ではなく、トルコ文化の中に北は黒色、南は赤色を意味するため、トルコの北の海は黒海、南は紅海と呼びます。

大航海時代より前に、黒海はアジアから欧州への唯一の通商路でした。黒海と地中海の連結部にあるコンスタンティノープル(イスタンブールの前身)はユーラシア大陸の中継地のみならず、世界の中心でもあります。

大航海時代になってから、欧州列強は海を通って植民地急速拡大しました。ロシアも追随しようとしていましたが、暖かい海の港と強い海軍がないのはネックです。北極海の港は一年中凍結されている時間が長く、戦略的価値がほとんどない。バルト海方面も強い敵だらけで局面も中々打開できないため、自分に面している黒海は自然と拡張の方向となります。

ピョートル大帝からロシアは南へ勢力範囲を伸ばしていたが、南はトルコの勢力範囲であるため、自然と戦争が起きました。ピョートル大帝はトルコと三度戦争を行いましたが、実力不足だったため黒海沿岸地区を奪えなかった。

ロシア帝国最も有名な女帝エカチェリーナ2世の時代になると、またトルコと三度の戦争を行い、クリミア半島とウクライナの南部を奪い、ロシアの完全勝利となりました。

ロシアはやっと黒海の港を手に入れ黒海艦隊を作りました。しかし、黒海を制圧するのはあくまでも第一段階の目標にすぎず、最終目標は黒海から地中海への出口を制圧し、勢力範囲を中東北アフリカまで伸ばすことです。そのため、トルコ国内の東正教徒とスラブ人の独立を支援しながらトルコを叩きました。順調にいけばロシアは地中海の半分を制圧できたるでしょう。

しかし、ロシアの行動は西側諸国の警戒を引上げ、もし東地中海をロシアの手に落ち、海陸複合型の強国に進化してしまったら自分達にとって悪夢でしかない。

1853年、ロシアとトルコのクリミア戦争が勃発、イスタンブールはツァーリグラードにになりかけた時、イギリスとフランスがきてロシアを叩き、黒海艦隊を全滅しました。ロシアは港どころか黒海沿岸の軍事基地と艦隊も所持できなくなりました。

20年後ロシアはまたスラブ兄弟とキリスト教を救えるの旗を掲げトルコを攻め勝利しました。ロシアはトルコと条約を交わし、中にトルコ勢力範囲だったバルカン半島のセルビア、ルーマニアを独立させ、ブルガリアを公国化しロシアの付属となり、さらにロシア艦隊は自由に地中海に入ることができると規定されていました。

イギリスとオーストリア=ハンガリー帝国は断固拒否したため、欧州諸国は再び一緒となってロシアと新しい条約を作りました。結果上の内容が全部破棄、トルコは改めて黒海から地中海への通路を管理できるようになりました。

第一次世界大戦はロシアが地中海に一番近い時でした。1915年、トルコを戦争から退場させるため、イギリスはイスタンブールを占領する目的のガリポリの戦いを行いましたが惨敗しました。やはりロシアの力が必要だと思ったイギリスは1916年5月両国は中東における勢力範囲を分け、トルコを破ったらイスタンブールはロシアのものになると。

チャンスは目の前にありましたがロシアは掴めなかった。戦争以来トルコは黒海を封鎖し、しかもドイツの巡洋戦艦もウロウロしていたため黒海艦隊は出れなかった。こうやってロシアの海外貿易も遮断されました。

黒海はロシアにとって最も重要な貿易通路です。トルコの封鎖下においてロシアの経済が崩壊し、民衆は二月革命を行い皇帝を倒しました。ソ連が建国してから依然出れないので、仕方なく黒海沿岸地区を全力で建設しました。

ウクライナ黒土の小麦で外貨を稼ぎ、ドンバス地区はソ連最も重要な重工業地区、クリミア半島の水深港はソ連対外の玄関です。もちろん地中海に出る野望はまだ諦めていない。

1938年、日独伊三国同盟が調印され、自分に対するものではないだろうとソ連はすぐ反対したが、ドイツは同盟は英米に対するものであり、君に対するものじゃない、心配するなら君も入る?と誘い、イギリスを消滅したらペルシャ湾、アフガニスタン、インド全部君にあげるはどう?

しかし、ソ連の野望はこのぐらいで満足できなかった。トルコ海峡、ブルガリアも欲しいだと。ドイツはルーマニアの独立を保障してほしいと断りを入れたが、ソ連が断固拒否しました。

黒海の周辺地図を見ればわかるように、ソ連の目的は黒海を自分の湖にしたいということです。

戦争が始まると、ソ連は完全にルーマニアとブルガリアを制圧し、一気にイスタンブールを攻め落とそうとしました。しかし、トルコは対ドイツ宣戦したためもしトルコを攻めたら敵として見なすと英米が強くソ連を牽制しました。

冷戦期間、ソ連はまだ何かやろうとしてもトルコはすでにNATOに属したため、手出しづらい状況となり、我慢するしかできなかった。

ロシアは地中海に対する執念により黒海はもうはや家宝であり、誰も触れてはならない、ウクライナが親西側になることを察したすぐクリミアを侵攻したわけです。



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