境界のZettelkasten

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Emily Dickinsonが言いたかったこととは?

対立をWin-Winで解決するとか、アイデアを連想から生むという発想は昔からあったが、やり方が分からなかった。結局みんな発想はあっても、やり方が分からない。しかし、ここまで来ると惜しい状態で、類似語を探すような形で解決する。これは例えに過ぎないため捉われてほしく無いが、虚構では無く幻術、連想では無く補完。主観と客観の違い、人間というフィルターを通す主観と、客観の違い。これが、The Brain—is wider than the Sky— by Emily Dickinson

    • 合理化(心理学)の危険性

      人間には自分の手に入らないものを嫌う習性がある。貧乏人はお金を嫌悪してますます貧乏になっていく。手に入らないのではなく、初めから嫌いだったのだと思い込む 人間は自分にできないことも嫌う、私は子供が嫌いな人は子育てをする能力が無いと感じることが多いのだが、それはそういう人が子供が欲しいと言い出した末路が私の知る限り悲惨であるからである。また自分の出来ないことを綺麗事だと言って馬鹿にする人もいる(心理学で言う合理化というものらしい) 合理化という人間の習性は本当に危険だと思う

      • 人類愛というベクトル

         経営者なんて運だと思っていたが、巨大企業の経営者は違う、そしてそれは正しいベクトルを持っているかどうかである。そして、そのベクトルとは人類愛である。恐らく彼らはスケールするかどうかなど考えていない、人類愛が彼らのスケールを生んでいる

        • 共鳴主義

          連想という点を線にする補完、錯覚能力。人間は幻覚に意味を見出すことが出来る。(Yuval Noah Harariはそれを虚構と言うが、私は違うと思う) やはり人間を区別するときには確固たるデータが必要だ 比較参照による情報補完 原理の把握と、論理と実存の比較参照という共鳴 自分の哲学と他人の知識との共鳴 境界を展開するものが福音 私は共鳴主義と呼べるものを発見したのかもしれない(共感の意味でない) 私は共鳴を力とする共鳴主義者なのである 共鳴とは福音の本質であり、私はそれをよ

        Emily Dickinsonが言いたかったこととは?

          月面の喩え

          真理とは月面のようなものである 月面を見て何に見えるかというのは文化によって異なる では何処かの国が真実を話し、他の国は嘘をついているのだろうか? 否、そのことで嘘をついている国などいない。だから幾ら論理で証明しても対話の方が重要で、それが道具を道具として使う(この場合は、見たものに振り回されない)ということである 上記は私がコピートレーダーから学んだことである。ただ手法を真似しても、見ているものが違えば同じようには勝てない、「花咲か爺」の民話のように

          開放系の効率について考えてみよう

           短期利益を捨てることで長期利益を得る方法がある。投資で商品を無料化することでより利益を得る方法がある。つまり、ある効率を捨てることでより効率的になるという方法があるのである。この考え方はエネルギーにも転用出来そうな気がしている。少し前に人間は問題解決のために要素を追加しがちであるという研究を見た。こういう方法は人類は苦手であり、見落とされがちである。私は短期利益を損なわず、長期利益を得られるような永久機関は存在しないと考えている

          開放系の効率について考えてみよう

          籠の中の鳥の喩え

          籠の中の鳥を開放すれば自由だろうか? そんなことはない、外の世界で生きていけなければ私は自由だとは思わない。前者は閉鎖系の自由である。閉鎖系は目に見えて分かりやすい、しかし開放系が認識できないからといって無視しても、それは上手く行っているように見えるだけである

          籠の中の鳥の喩え