夢に見た街

 仲の良い兄妹がいた。兄は妹を大切にしていて、妹は自慢の兄であると思っていた。ところがある日世界の規律を乱す者が現れ、世界は滅亡するかに思えた。しかし、妹の持つ不思議な力によって規律を乱す者の力は無効化され、世界の平和は保たれた。その代わり、妹は肉体を失って解放された不思議な力の中にその精神をとどめるのみの存在になってしまった。

 兄は悲しんだ。世界が救われても、妹のいない世界などで暮らしたくはない。妹の断片を求めて彷徨ううちに、この世の者でない者たちが集う街へやってきた。この街に取り込まれた者はそれまでの記憶を忘れ、新しい住人として別の世界へ行くことになる。この世界に未練のない兄は次第に薄れる記憶の中で、悲しみすら忘れてしまうことを望む。

 その街では旧正月を祝っていたところだった。爆竹が鳴り響き、金色の龍を担ぐ者が現れ、赤と黄色の色彩であふれかえっていた。既に自分の名前を忘れていた兄は、とある一家に出会う。ハレの日のためにめかし込んだ余所いきの服を着ている彼らに、兄は見覚えがある気がした。
「おう、坊主じゃないか。勝手に離れてはいけない」
 一家の父親が辮髪を振りながら駆け寄ってくる。さっきまで青年だった気がするが、それは気のせいだった。
「ごめんなさい、お父さん」
「ほら、あっちで兄さんとお祭りの太鼓を見ておいで」
 父親が指し示したほうには母親と自分の兄がいた。父親に手をひかれて人ごみをかきわけているうちに、この家族の末の弟になっていた。祭りの喧騒と暖かい家族の団欒が何よりも心地よかった。時の概念がないこの街ではいつまでも祭りが続く。月餅を買ってもらい、凧で遊び、夜はキレイな服を着てお祭りに行く。そんなことが続いた。

 それはあなたではない。

 そんな声が聞こえた気がした。気が付けば街の人ごみも家族も消えていて、広い祭りの広場に独りで立っていた。忘れていた少女のことと、忘れてしまいたかった悲しみを思い出した。街の風景はどんどんゆらぎ、ついには手の届かない夢の彼方へ消えてしまい、後には頬に行く筋も涙の跡があるかつて妹を失った兄だけが残った。

 あなたを、私も失いたくない。

 心に響いた声の主は、次第に遠ざかっていくように感じた。
「待ってくれ、行かないでくれ」
 それはかつて幻影の中にいた家族に向けてなのか、確かに感じた愛する妹の名残に対してなのか、それは誰にもわからなかった。

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