営業の大切さ

 作品を作るからには作品を作るだけでは作品は完結しなくて、誰かに見てもらわないと発表した意味がない。だから作品を書いて書いて書きまくるだけでは何も終わらない。誰かに見せないと、それは完成したことにならない。思い描いたことを形にするまでが大変だけれど、それから先の就職先の世話もしてやらないと「作品」にならない。

 そうは言っても作品を見てもらうには並々ならぬ努力が必要で、誰かに見てもらうと言っても興味のない人に無理やり見せるわけにもいかないし、結局自分で「これを見てください!見てください!」ってサンドイッチマンみたいに広告を掲げて行脚しなくてはいけない。

 ただ、それにも作品を作る作らないの上の向き不向きがあって、サンドイッチマンになりたくない人もいる。もちろんただのワガママだ。サンドイッチマンが恥ずかしいことでないことはよくわかる。でも、作品を書いている人格が「そんなみっともない真似は出来るか」みたいに駄々をこねるときがある。アホか、そんなプライド捨てちまえよ。てめぇみたいな野暮がいるから物書きってバカにされんじゃねぇかよと人格を罵っても人格がそっぽを向くだけで和解に至ったためしはない。結局誰にも見てもらえない作品ばかりがたまっていって、そして死んでいく。

 人生ってそういうものじゃないのかなぁと最近思う。誰かに見つけてもらわないと人生って完結しない。ひとりで生きていくことはとても辛い。互いに認め合って行かないとひとりで死んでいく羽目になる。だからみんな必死に相手のいいところを探したり自分のいいところをアピールしたりしているわけで、それは「人生の営業活動」に他ならない。

 そろそろ「営業活動」を本格的にしないといけないのかもしれない。その前に、作品を書く人格をそろそろ本気を出せと叱り飛ばさないといけない。「そんな面倒事はごめんだぜ」と言われそうだけど、こいつを動かさないと営業も何もない。結局ここまでの登場人物はこの文を書いている人一人だ。自分の問題だから自分で解決できることばかりではない。そういう時に必要なのが、やっぱり「誰か」なんだと思う。

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