チラシ職人という仕事

 正直、ブログと広告の違いがわからないブログの魅力がよくわからない。個人の日記を面白おかしく綴っているわけでもないし、面白い文章や為になる知識があるわけでもない。ただ商品の紹介がずらーっと並んでいて使用の感想があって、それで終わり。「だから何だ?」がたくさん並んでいる。だから面白くない。

 だけどそれを「参考になります!」って一生懸命真似する人は多い。広告を作るということでは参考になるのかもしれないけど、「ログ」としては大して参考にならないと思うのね。チラシの裏じゃなくてチラシの表を公表するようなブログは所詮チラシの表でしかなくて、新聞の折り込みでどさっと回ってくるアレなんだと思う。ただチラシはみんなが見るし、お得な情報があれば役に立つ。商用ブログもきっとそんな位置にあるんだと思う。

 ここからが悲劇の始まりで、読者は「その人」が面白いからチラシを読むわけではない。単に「情報」が欲しいだけだ。だけど、ブログというシステムでは「アクセス数=人気=発信者の面白さ」に変換されやすい。つまり、「情報」と「個人の面白さ」をごっちゃにして「俺はすごい人間なんだ!」と思い込みやすいってことだと思う。

 そんなチラシをアートだ何だって高めているのもアレだし、それを見て「すごい!」って思っちゃうのもアレ。チラシはチラシであって、それ以上のものではない。芸術的なCMは素晴らしいと賞賛されることもあるけれど、スーパーのチラシを集めて「この店のチラシはすごい!参考になる!」っていうのは業界人だけだと思う。そういう界隈もあるだろうけど、一般向けではない。それを本人たちがわかっているならいいんだけど、「俺たちはチラシが面白いと思うのでみんなもチラシを作ればいいと思う」なんて適当なことを言うから現状のチラシ褒め合い会場が生まれているんだと思う。

 チラシはチラシでいいの。でもチラシ職人が面白いかというとそうでもなくて、チラシ製作のメソッドに従ってチラシを作っているだけ。「このチラシの配色はいいね」って褒めるのはいいけれど、それはチラシ職人が面白い人であることと何も関係がない。あくまでもチラシは情報発信の手段。受け手に必要な情報が届くと言うことがチラシ職人の使命だ。

 チラシではなくチラシ職人に注目が集まる世の中になったら、新聞折り込みにはチラシ職人のメガネに髭面がプリントされていて「この職人さんの他のチラシを見てみよう!」という案内が出ているかもしれない。そして「この職人さんのチラシの作り方は参考になりますね!」っていうチラシの裏が生まれる。そして「このチラシ職人さんは他のチラシ職人さんを褒めるのが上手!」「僕もこのチラシ職人さんに褒めてもらった!」というチラシの裏が大量に出回って、チラシ職人になるためのメソッドに「他のチラシ職人を褒める」が入って、そうなるとチラシの質はどうでもよくなってくる。

 もうチラシの需要はないのかもしれないなぁ。

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