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勉強で人の心を動かすことはできるのか

 今回のタイトルは、ある意味私の人生のテーマでもあります。この問いについての私なりの答えを今日は皆さんに共有できればなと思い、記事を書かせて頂きます。

この問いに直面したきっかけ

 私は小さい頃から映画やドラマ、舞台に強い感銘を受ける子供でした。その中で、いわゆる推しと呼ばれる存在、あるいはそこまではいかなくても強く惹きつけられる存在というのが生じました。
 彼らは、たった1人で(実際には共演者、スタッフも存在しますが)数千人、時には万単位の観衆を惹きつけることができます。
「〇〇さんが生きがい」「〇〇さんに出会って人生が変わった」
そんなふうに思ったことがある人も多いでしょう。
つまり、彼らは人の心を動かし人生をも変えうるほどの力を持っているということです。私は、素直に彼らを凄いなと思いました。
一方で、
「身の回りの人の心すら動かすことができない自分は何て無力なんだろう」
そう落ち込むことも1度や2度ではありませんでした。
私は優れた容姿を持っているわけでもないし、芸事の経験もありません。
だから、そうした存在になれないのは至極当然のことなのですが、やはり悩んでしまうのです。

勉強というものの特殊性

 学校の教科になっているものを大別すれば、勉強(主要科目)、芸術(音楽・美術など)、スポーツ(体育)に分類できると思います。
この中で、勉強というのはかなり特殊です。まず、芸術やスポーツはそれぞれの人がどんな成果を収めているのか、簡単に把握できます。
美術だったら他の人の絵を見ればどれくらい上手いのかがわかるし、音楽であれば人の歌や演奏を聴くことで判断できるでしょう。
スポーツは、体を動かすこと自体が授業ですから、上手い下手は一目瞭然です。
 
 でも、勉強ができるかできないかということは傍目には分かりづらいです。
授業中の発言等を通じて「この人頭いいのかな!」と思うことはあるかもしれませんが、基本的にはテストの結果を通じて判断されますし、本人がその結果を開示しない限り、他者に伝わることはないでしょう。

 つまり、成果が自然と他者に共有される芸術・スポーツと比べると、勉強は内に閉じたものと捉えることができます。
 ここで改めて問いを考え直してみましょう。成果が他者に共有されないにも関わらず、勉強で人の心を動かすことができるのか。これは極めて難しいことだと言えそうです。

人の心が動くのはどんな時か

 ではそもそも人の心が動くとき、つまり感動はどのようにして発生するのでしょうか。私は、感動は良い意味で期待を裏切られた時に起こると考えています。
自分の経験を振り返ってみても、感動するのは予想を遥かに上回る時だからです。つまり、勉強分野でも期待を裏切ることができれば、人を感動させることができるのではないでしょうか。

 勉強で期待を裏切ると聞いてすぐに思いつくのが志望校合格です。とりわけ、成績が芳しくなかった学生が高い壁を突き破り、到底合格困難と思われた学校に合格する、いわゆる逆転合格は多くの人を感動させるエピソードの一つです。
聞いた人は、その人がどれほどの努力を積み重ねてきたのかに思いを馳せつつ、そのエピソードに勇気づけられることでしょう。

 また、志望校合格までとはいかずとも、人の成長は見る人を感動させる力があります。私はアルバイトで受験生のサポートをしていますが、受験生が自ら課題を自覚して壁を突き破った時、本人さえも驚いてしまうような成果が出た時は、教えているこちらも嬉しくなってしまうものです。

まずは自分自身の心を動かす

 ここまで読んでくださった方は気づいたかもしれませんが、人の心を動かすにはまずは自分の心を動かせるような成果を出さなければならないということが分かります。しかし、そんな自分で自分を驚かせてしまうほどの成長を生むための道のりは、決して華々しいものではありません。
 自分の不甲斐なさに悔しさが込み上げてきたり、頑張っても頑張っても報われなかったり。それでも歯を食いしばって、地味な作業を毎日毎日繰り返して。
その先に、自分自身を驚かせてしまうような成長と、他者に感動を与えるほどの成果が生まれるのです。

最後に

 勉強でアイドルや舞台俳優のように、1度に何千人、何万人もの人を感動させることは難しいかもしれない。でも、あなたの頑張りに力をもらう人は確かに存在するはずです。私は自分自身が成長しつつ、勉強を頑張っている受験生の成長もサポートすることで、周りの人には「零はこんなこともできたんだ」と思ってもらいたいし、受験生には新たな自分の一面に気づいてもらいたいと考えています。勉強で人の心を動かすことができる人間になりたいです。
受験生や勉強に励んでいる皆さん、ぜひ一緒に頑張りましょう!



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