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タナゴ師あらわる 2

タナゴ釣りってのはね 昔で言えば粋なお金も
ちの道楽なんだよ 江戸の頃はね 遊女の髪
を道糸にして 繊細なあたりを楽しんだらしい              遊女の髪を手に入れるってことは財力の裏付け              が必要だからね 

俺のつかってるこの竿は 親父が使っていた
ハゼ竿の先なんだよ 親父が60年 俺が60
年 合わせて120年使ってる 昔の道具は
丈夫だよ

同じ釣りやっててもさ 釣れなきゃ面白くない
じゃない 釣れるためにはさ やっぱりいろいろな
工夫をしてさ 真剣にやんなきゃ面白くない
それでさ こんなところの釣りだって見る人が
見れば ああ あいつ分かってるな 粋だな
というのがあってさ 出来れば分かったうえで
愉しみたいじゃない つれりゃどうでもいいって
奴もいるけどさ

かなりガチな指導を一時間強受けて素直に勉強
になったと思った と同時に 自分の来し方には
この真剣み と言うのが足りないと痛感させられ
た気がした 仕事しかり ゴルフしかり ギター
しかり 書き物とドラムは気合を入れているつも
りだが それで上達しているのかどうかと言えば
その辺り疑わしい 書き物についてはとにかく
書くことだと考えているが それで本当にいいの

 ひとつ思ったのは ゴルフにしろ釣りにしろ 上達
すると数値として結果が出てくるところが のめり
込みやすいし熱中しやすい 工夫のし甲斐がある
しかし 書き物やカメラなど 表現に関するものは
数値としての成果は現れにくいし 結果と言うの
も見えにくい うまければいいというものでもない
人の心に結果が出るのかもしれないが それ
は目に見えるものではない そこが別の醍醐味

形から入った私の江戸前のタナゴ釣りはなにも
かもまがい物 エセ チープに思えて こういの
が 野暮 と言う事なんだろうな と恥ずかしく
思えた 中身が無いのに表だけ取り繕って その            うえ道具も見せかけだけの不出来なコピーで 本質            のホの字にもかすらない自己流の 自己満足の代物           不粋なこと この上ない あははは

どこに住んでるの あ 川向こうです そうか
おれは町屋なんだけどさ え 遠いじゃないです
か いや 車だから 川沿いを通って行って
十キロだよ じゃ こんな爺が偉そうにお邪魔
したね また今度会うことがあったらいろいろと
話しようや といって老人は薄暮れた遊歩道
のゆるい坂を釣り道具を携えて登って行った
私は久しぶりに人の話をきちんと聞いたので
背筋が固まって背中がすっかり痛くなった

一人で道具をかたしながら お祭りの提灯の
あかりと木の陰からのぞく夕焼けで寂しさは
感じなかった 祭りへの奉納金を出したひとが
ベニヤ板に貼りだしてあって そこを通る人が
結構その貼り出しに見入るものなんだな とい
うことに気が付いた



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