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✖国学⭕️皇国学(こっ・・こうこくがく)・・・_| ̄|○ii

4281文字

やっ、何を言いたいかと言うと、復古神道、古神道を唱えた「国学四大人」とか国学という学問があるだろ?これがのち神道や国体になっていくが、日本の古代本来の精神の探究の学問と思うだろ?違うんだ。
これで皆、混乱して意味が分からずまたダマされてた。また一字抜けているんだ。

もとは国学でなくて、

皇国学!→皇→スメラ→天皇学なんだ!_| ̄|○ii

本当の天皇とは何か?という学問。
この皇国学を国学との名にしていたことに気づかなくて、とても回り道をさせられていた、また騙されてた!( ;´Д`)
この島国の天皇制とは何か?との学問だから、愛国で戦争ヒャッハー天皇陛下バンザイ教の国を上げての学問と発展させ、この国は広めた!

皇国学(こうこがく)

主な学者に荷田春満、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤などがいる。国学。御国学び。

御国学び(みくにまなび)→日本の古典を研究する学問、国学

御国(みくに)の 意味・使い方、国の敬称、

1「神の御国へ召される」

コトバンクにこう書いてあるけどこの意味は、キリスト教の神に召されると同じ系の意味だよな。《神の世界(天国)に招かれる意》身体は死に魂は電池化。

2 日本国。おくに。「御国のために頑張る」

御国争ひ(みくにあらそい)=皇位を争うこと。


皇学

江戸中期に興った、文献学的方法による古事記・日本書紀・万葉集などの古典研究の学問。儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化を究明しようとしたもの。漢学に対していう。契沖 を先駆とし、荷田春満・賀茂真淵・本居宣長・平田篤胤 らによって確立。古学。皇学。

契沖 (けいちゅう)

契沖 (けいちゅう) [1640~1701]江戸前期の国学者・歌人。高野山で修行して阿闍梨 (あじゃり) 位を得る。「万葉代匠記」を完成、国学発展の基礎を築いた。
万葉代匠記」江戸前期の万葉集の注釈書。徳川光圀 の命により、天和3年(1683)着手。万葉集の全巻にわたり詳密な注を加えたもので、以後の万葉集研究の基礎となる。

「皇国の学の意」の学問。

特に、古事記、日本書紀、万葉集などを研究して日本固有の精神や文化を明らかにしようとするもの。

⭕️皇国天皇が統治する国。昭和二〇年(一九四五)頃まで、日本の異称として用いられた。すめらみくに。

※交易問答(1869)〈加藤弘之〉下
⭕️『皇学とか申て、神代の尊い道が追々御盛になるそうでございますから』

何この言葉!!(#・∀・)


皇学所・漢学所

皇学所漢学所は、王政復古直後に明治政府によって京都に設置された高等教育機関。大学寮に替わる組織を目指したが挫折した。

明治初年京都におかれた国学系官立学校。明治1 (1868) 年国学者矢野玄道らが政府の委嘱を受けてその設立に尽力し,同年9月,漢学系の学習院 (漢学所) と併立して設置された。漢学洋学を「皇道の羽翼」とするという趣旨に基づき、本教学など神道中心の4学科を設けた。同2年9月に廃止。京都府中学校の前身。

でものち明治15年東京帝大、現在の東大で皇学が国学と名前を変えて始まってしまう。少し下で説明。



皇道とは?

◉帝王の道。天皇が仁徳をもって国を治める政道。
◉帝王の政道。天皇が行う政治の道。

仁徳仁愛の徳。他人に対する思いやりの心。にんとく。
仁愛情け深い心で人を思いやること。いつくしむこと。また、そのさま。

ちなみにコイツは、「徳仁」天皇


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