逃走不可能性の原理

 哲学をどこから始めようかなあと考えていたが、逃走不可能という場所から始めようと思う。なにからの逃走かというと「このこれ」なのだが、このこれではよく分からないので「今ここ」にしたい。不可疑性があるからだ。疑うことができない。認めざるを得ない。
 今ここというのはスピリチュアル界隈で手垢が付きまくっているし、アスリートなども「今を生きろ」とか言うのでわけが分からなくなっている。良い表現を考えていたが、「逃走不可能性」でいいかな。

 過去に行くことはできないし、未来に行くこともできない。タイムマシーンがないから。1秒前にも1秒先にも行くことができない。飛んでも跳ねても絶対に行けない。
 素朴な時間実在論者に「いや、未来や過去はあるだろ」と言われたら、屏風から虎を出してみろといった一休さんみたいに「じゃあ未来や過去を見せてください」と答える。絶対に無理だ。

今のこの場所から逃走することができない

 をたたき台にしようと思う。この原理の基礎付けをするかもしれないし、発展させるかもしれない。

 ハイデガーの存在と時間の時間論と比較してみたりするのも面白いと思う。
 ハイデガーは人間の実存の核心を「自己への気遣い」だとするが、この「気遣い」の中で、時間は「自分がどういう存在であったかという既在」、「自己の可能性を差し向ける将来」とする。
 僕なりに言い換えると「自分がどうであったかという過去からのアイデンティティを引き受けて、自分の将来の可能性に開かれている状態」を自覚するのが「現在」だ。

 「自己への気遣い」というのは「エゴイズム」と言い換えてもいいだろう。そして仏教では「エゴイズム」と同時に「時間」も消滅する。
 ハイデガー的に言うと「どうであったかのアイデンティティ」と「将来の可能性」が消滅するからだ。
 自己への気遣い=エゴイズムがなくなると、逃走不可能性しか存在しなくなる。アイデンティティにも可能性にも逃げることができなくなる。

 存在と時間は読み込んだつもりだったんだけれど、自分で概念が操作できるほど理解できていなかった。上記の文章はこんな感じで比較思想論や哲学ができたらいいなというサンプルだ。
 
 今のところ、ベルクソンが一番使えそうかなあと思う。二番目はハイデガーで、次がフッサールだ。逃走不可能性を基礎づけたり、発展させて幸福論を組み立てたり、いろいろ積み木遊びをしたい

 

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