フェミニズムは戦争の顔をしている

「フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学」「ジェンダートラブル」「女嫌い」「家父長制と資本制」「世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史」「愛について アイデンティティと欲望の政治学」「大衆の狂気 ジェンダー・人種・アイデンティティ」「図解雑学 ジェンダー」「フェミニズムの害毒」「男らしさの終焉」「LGBTを読みとく ─クィア・スタディーズ入門」「ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか」
 このあたりを読んだが、全部忘れた。

 ジェンダーに興味を持って、結構いろんな本を読んだが、有用な情報がなかったので、忘れてしまったみたいだ。家父長制と資本制という本は、マルクス主義を補完するという意味で面白かったが、他の本はプロパガンダだとしか思えなかった。
 僕は父親から「男らしくなれ」と言われながら育ったが、病弱でなよなよしているので、強い劣等感があった。だからジェンダーにも興味があるし、今かなりホットな話題なので勉強をしたいのだが「全員が当事者」という状況にあるので、政治から免れている言説が全くない。社会学も経済学も芸術も全て政治的な言説だ、と言われたら、まあそうだろうなと思うけれど、それにしても酷いと思う。
 「男の子は生まれつき青を好み、女の子はピンクを好む」という情報がアラン・S・ミラーという人の(アンチフェミっぽい)進化心理学の本で紹介されていたが、「ボーイズ」という本では、元々ヨーロッパでは「赤」は大人の男の色で、男児はピンクというしきたりがあったので、色の好みは社会的に誘導されていると紹介されていた。「生物学的本質主義」と「社会構築主義」のイデオロギーの違いなんだろうけれど、このように著者のイデオロギーによって提示されるデータが変わるので、何を信じたらいいのか分からない。だからジェンダーの本を読むのはやめて、自分で考えることにした。

 「フェミニズム」という学問がなぜ生まれたのかというと、「近代」と「有限性」の葛藤だと思う。「近代」という時代は「理性のある人間」は全てが平等だと説くが、理性のある人間の中でも「男性」と「女性」で待遇が違うことに気づいた。「同じ人間だろ」というヒューマニズムで「女性学」が誕生する。ずっと議論がされてきたし、最近は余計加熱しているが、理想と現実の裂け目があるんだと思う。「生物学的本能」というハードは絶対に変えられない。だから「ジェンダー」という「社会的な役割」をやめようという戦略は結構いいと思うんだけれど、全てを「社会」に還元するのは無理がある。「有性生殖」が生まれてから何億年経つのか知らないが、ホモサピエンスの身体は明らかに雄と雌の身体がある。
 「持っている身体によって欲望が全く違う」というのが、フェミニストにとってしんどいところだと思う。オスは子種をばら撒きたいし、メスはオスが浮気しないように引き留めておく必要がある。オスはたくさんのメスを魅了するために富や権力を欲するが、メスはあまり権力に興味がない。このような主張も「家父長制のイデオロギー」だと言われるのかもしれないが、霊長類や進化論の研究を見ているとその傾向はあると思うんだけどな…。フェミニストは「母性というのは神話だ」と散々喧伝していたが、やっぱ母性というのはあるらしい。そりゃあると思う。自分の子供が可愛くない親って存在するんだろうか?

 「生物学的な差」はある。が、それで得られる富や権力に差があってはいけない。苗字も女だけ変えるのはおかしい。おかしいと思う。差別は本当によくない。僕は障碍者で無職だから散々石を投げられた。
 だから「なぜフェミニズムなのか?」と思ってしまう。「差別学」でよくないか?それだけだと焦点が絞れないのなら、せめて「ジェンダー学」で良くないか?と思う。ジェンダーと名の付く本は多いが、ほとんどがフェミニズムの本だった。二元論は戦争の原理だ。今はSNSに男性嫌悪の女性が蔓延っているが「女性学」の当然の帰結だと思う。「我々/彼ら」という部族主義を作ってしまうと、戦争になる。「フェミニズム」が「ミサンドリー」に堕してしまうのは必然だと思う。「ナショナリスト」が「中韓嫌い」になるのと同じぐらい当然だ。
 
 フェミニストはヴィーガンになるべきか?という問いがなされたことがあるらしい。笑われたらしいが、僕はなるべきだと思う。男/女に差がないのならば、人間/動物の間にも差はない。種差別の根拠は全くない。「差別廃止論者」ならばヴィーガンになるべきだと思う。「女性差別廃止論者」ならばフェミニストでいいと思うけれど。そんな厳格な「差別廃止論者」なんかいるのか?と問われそうだが、釈迦は女性の出家も認めたし、肉もたべなかった。

 フェミニズムは「生物学的な差を無視する」という部分と「女性学」という部族主義であるところが良くないと思う。「生物学的な差」を認めた上での平等、を目指すべきだと思うし、女性学という名前は廃止して「差別学」という名前にすると良いと思う。

僕のもの。君のもの。
「この犬は、僕のだ」と、あの坊やたちが言っていた。「これは、僕の日向(ひなた)ぼっこの場所だ」 ここに全地上の横領の始まりと、縮図がある。

パンセ

 


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