苦しいのは自分がいると思っているから

 瞑想しながら散歩していた。思考が湧いてきて、ふと「なぜ苦しむのだろうか」と考えると「自分がいると思っているから」と返ってきた。こういうのを理解とか洞察と言うんだろうけれど「恋人のことが不安なのは自分がいると思っているから」「父親との関係がぎくしゃくするのは自分がいると思っているから」「死が怖いのが自分がいると思っているから」「人に見られると怖いのは自分がいると思っているから」、と「苦しみ」に様々なものを代入していっても、全て「自分がいると思っているから」だった。勉強に焦燥感を感じるのも「自分がいると思っているから」だし、孤独が怖いのも「自分がいると思っているから」だった。
 「苦には原因がある」「全ては縁起である」ってこれだったのかと思った。

 安堵、安堵、安堵だった。今、帰宅して、欠伸が止まらなくなっている。怖いものが何もない。途方もない安心感がある。
 最近は、「自殺したい」とか「死にたい」とかネガティブな思考が湧いてきても、ほぼ完全にスルーできるようになっていた。気づきを養うことで、思考との同一化が全て止んだので理解が起きたのか、理解が起きたから思考にもどこにも自分がいないのか分からないが、自分というのはいなかった。「自分がいると思っている」だけだった。

 「自分」というのは「守らなければいけないもの」なんだなと思った。生物だから、そりゃ自分を守るようになっている。でも身体を探しても心を探しても自分というのはどこにもいない。「自分がいると思っている」だけだった。
 守るために生存本能として、お金や地位などが欲しい。僕の場合は知識を得ることで自分を守っていた気がするが、なんかもうなんもしなくていいんだなと安心した。

 「自分がいると思っているから」苦しい。思わなければ、悩みも焦りも何もない。他者や時間というのは「自己」が中心になっている関係性のことなので、自分がいなければ、人間関係の悩みも後悔も不安も何もない。

 自分がいると思っているから苦しかったんだな~。本当にそれだけだったので拍子抜けしてしまった。

勉強したいのでお願いします