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『水の中の八月』 地方映画の傑作でもある。アート系、セカイ系の行き着く果て。

評価 ☆☆



あらすじ
高飛び込みのオリンピック候補選手、葉月泉。女子高生である彼女はイルカのプールで、高校の先輩、桑島真魚という男性に出会う。雨の日、ずぶ濡れになりながら登校する泉をバイクに乗った真魚が声をかけた。



『水の中の八月』は石井聰互監督(現在は石井岳龍監督)の1995年の作品。石井監督の映画はある意味予言書でもある。出演は小嶺麗奈、青木伸輔など。1976年の『高校大パニック』(8ミリ版)はアメリカで多発する高校での銃乱射事件を予見し、1980年『狂い咲きサンダーロード』は暴力による衝突(ISISを含む過激活動の激化と終焉)を予測した。



これらを監督した石井はいつのまにか暴力とスピードから精神世界へと移行する。細野晴臣がかつてテクノビードの傑作『S-F-X』からMonadoレーベルの「観光音楽」に変化したように。『エンジェル・ダスト』、『水の中の八月』などの精神世界を描いた作品は、今日の『シャニダールの花』や『蜜のあはれ』に深化した。



初期の暴力性は奥に引っ込み、静寂と奇妙な共振が前面に描かれる。一歩間違えれば宗教と結びつきかねない危うさは、宮沢賢治的世界と隣り合わせにもある。人間の内的宇宙を多感な青春期に限定した形で切り取り、映像化した試みがうまく成功しているのが『水の中の八月』だ。



主演の小嶺麗奈が素晴らしい。設定は高校生だが、実年齢は14歳である彼女の、青春期における危うい存在感は映画の魅力のひとつ。タイトルバックにつながる飛び込みシーンは、まるで世界に残された最後の人間がダイビングをしているかのような孤独と美しさを兼ね備えている。見事な映像である。



イルカ、古代文明の伝説、謎の病気の蔓延、救世主的存在など、石井監督の実験的な試みは興味深く、時を経るほどにこの映画は魅力的を増す。何よりそれらを博多という街で美しく映像化されていることには正直驚くほかない。



ただし、1990年代の日本映画にありがちだがストーリーが多元化しすぎている。収拾されていないままに進行し、結末は観客に委ねられる。物語の力よりも映像の力が強くなり、物語を追い求める観客には退屈な作品に見えかねない。



『狂い咲きサンダーロード』が動的青春映画の極致とするならば、『水の中の八月』を静的青春映画の極致だろう。それにしても夏の残像と青春という組み合わせは、なんと相性が良いことか。



いずれにしても、最近はアート系、セカイ系と呼ばれる映画群は日本では見かけられなくなった。アニメが回収したのかもしれないし、その役割を日本映画は終えたのかもしれない。それを感じさせる映画でもある。



初出 「西参道シネマブログ」 2015-11-05



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