ざわけん/大澤健

一般社団法人ぼくみん 理事・ファシリテーター/境界・線引きを問い直す/【断想】シリーズ…

ざわけん/大澤健

一般社団法人ぼくみん 理事・ファシリテーター/境界・線引きを問い直す/【断想】シリーズで、わからないことをよくわからないまま文章にしています/写真も撮ります

マガジン

  • 断想 ~他愛もない思考の欠片

    思考の断片を残したnoteのまとめ。

  • 高垣忠一郎先生を偲んで

    自己肯定感の提唱者・高垣忠一郎先生と「さようなら」するためのnoteです。

最近の記事

学び・仕事・遊び、どんなイメージ?【断想】

「〈学び〉の対義語を3つ挙げてみてください。」 「〈仕事〉の対義語を3つ挙げてみてください。」 先日こんな問いかけをされる機会があった。その場にいた15名ほどの答えには、共通するものもあるが、違いが滲み出る。興味があればぜひ、近くの人たちと一緒にやってみて欲しい。 ぼくが挙げた3つには共通するものがあった。そう書く自分に苦々しい思いをしながら!率直に書いた。 〈遊び〉だ。 〈学び〉は広い。勉強=学びのようにいま捉えているわけではないが、受験競争を生きてきた自分にとって

    • 神輿を担ぐ子どもが減っていた

      昨日は数年ぶりに地元の神社の例祭で神輿の担ぎ手をしてきた。 神輿は全部で4基。大人の大神輿1基に加え、子ども神輿が大・中・小の3基あり、年齢に応じて担ぐものが変わる。今年はぼくは、自分の町が担当する子ども大神輿の手伝いをしてきた。 自分が小学生で参加していた十五年ほど前は言わずもがな、少し手伝った大学生時代の数年前よりも明らかに子どもの数が減っている感じがする。昔は子供たちみんなで持ち上げるには人が多すぎて、神輿につないだロープを引いている子どももたくさんいた。そのロープ

      • 「さようなら」と「こんにちは」|高垣先生を偲んで -2-

        ぼくはこの文章を先生と「さようなら」するために書いている。 高垣先生は生前よく、「さようなら」と「こんにちは」の話をしていた。 「何かに『さようなら』する覚悟なしに、何かに『こんにちは』することはできない。きちんと『さようなら』しないと、何も新しいものは始まらないのだよ。」 先生に諭してもらったことのなかでも、特に印象深い話だが、それからもぼくは「さようなら」が苦手だ。 「さようなら」は忘れることではない。出会いや体験を味わい尽くし、受け入れ、生かすこと。 喪失を深

        • 先生との日々に向き合おうと思う|高垣先生を偲んで -1-

          高垣忠一郎先生の訃報を知ったのは1月13日の夕方頃。 2日間の大事な仕事の真っただ中だった。スマホの不吉な通知から目をそらしてやり過ごし、ようやく連絡をくれた知人に返信を打った夜も、その情報をのっぺりと受け取らないと仕事に支障をきたしそうで、平静を装って振る舞っていた。 それから1週間後の21日夜、「高垣合宿」をともにした友人たちと豚骨ラーメンを食べながら、はじめて涙を流した。 社会人3年目の終わり。遮二無二働いてきて、脇においてきたものたちとのバランスを取り直そうとして

        学び・仕事・遊び、どんなイメージ?【断想】

        マガジン

        • 断想 ~他愛もない思考の欠片
          22本
        • 高垣忠一郎先生を偲んで
          2本

        記事

          息が詰まるような渦から抜け出す、そんな数年と仕事の話の「書きかけ」

           恵まれた大学時代だったと思う。これ以上のぞめないほどの出会い、機会をいただいた。行きたいところに行き、会いたい人にも会った。大いに語り、大いに学んだ。ところが、大学生活が終わりに近づくにつれ、ぼくはなぜか、行き詰まりを感じるようになっていた。  数ある仕事や職種のどこに身をおけば、自分の存在は最も役立つのだろう。無数の可能性があるなかで、いかに一つに絞り込んでいけばいいのだろう。はてさて、ぼくは、何を選びとり、生きていくのか。  一年の休学というモラトリアムは、人生のテ

          息が詰まるような渦から抜け出す、そんな数年と仕事の話の「書きかけ」

          無名のひとりに "SPOT" を丨tugumi【実践】

          豊かさや幸せを選び直す時代。福祉を見つめ、自分を見つめる。 Interview Project "SPOT" はじめました。 福祉に赴き、福祉に面向く(=向き合う)。 “SPOT” は、福祉という豊かな世界で働く無名のひとりにスポットをあてるインタビューを通して、これからの暮らし、わたしたちの生き方を探索するプロジェクト。 プロの編集者からのレクチャー、参加者みんなでのワークショップ、チームでの滋賀県内の福祉の担い手たちへのインタビューなどを重ねながら、多様な同世代とと

          無名のひとりに "SPOT" を丨tugumi【実践】

          翻訳の研究について ~translation studies の入り口【断想】

          翻訳(translation)は、外交、貿易、布教、統治、文化・思想・学問・技術の伝達や受容など、多種多様な場面で、様々な担い手によって行われてきた。歴史上常にその実践が先行してきた翻訳は、必ずしも研究の対象として重要な位置を占めてきたわけではない。 もちろん翻訳の議論の萌芽は確かに古代にまで遡ることができる。 ミカエル・ウスティノフの翻訳史を筆頭に、翻訳学の入門書において近代以前の研究史を扱う際、精神的な始祖として必ず言及される人物は、キケロー(前106-前43)とヒエロ

          翻訳の研究について ~translation studies の入り口【断想】

          陽だまりのような場丨SWLAB【実践】

          「陽だまり」のように、 「光」の心地よい温度を共有しながら、 みんなで、悩み、語り合う、溜まり場。 〈HIDAMARI 〉という場をはじめました。 以前、一人で鬱々と悩んでいた時期について言葉にするとき、 「溺れる」という言葉を使ったことがあります。 海に沈み、光が徐々に薄れ、途絶える。 そういう時間もとても大事だと思います。 いまでもしばしば僕は、海に身を投げ、深みへ潜ります。 暗さや闇はとても尊いものです。 でも、その中でずっと生きていけるかというと、そう

          陽だまりのような場丨SWLAB【実践】

          福祉の境界が溶けるとき、世界は彩りを取り戻す丨SWLAB【実践】

           鮮烈な2時間だった。  僕自身も企画運営に携わっている SOCIAL WORKERS TALK 2020「福祉の周辺」。3回にわたるこのトークイベントの初回「まちづくりと福祉」は、〈福祉〉という言葉が生色を取り戻す再生の瞬間かのように僕の目には映った。  建築をやっていて「気づいたら福祉にいた」という建築家の岡山泰士(⼀級建築⼠事務所STUDIOMONAKA )さん 趣味として始めたパーソナル屋台が「事実上の福祉」だったという田中元子(株式会社グランドレベル)さん

          福祉の境界が溶けるとき、世界は彩りを取り戻す丨SWLAB【実践】

          福祉の境界、本当にそこにありますか?丨SWLAB【実践】

          福祉には、 ときに3Kのようなネガティブなイメージ、 ときに「優しさ」「思いやり」といった尊いイメージ、 いずれにせよ、その内実を説明せよと言われると多くの人は言葉にできるわけではないのに、広く共有されている固定化した認識が存在します。 そのイメージが福祉を狭い檻の中に閉じ込めている。 そして、私たちと福祉との微妙な距離を生んでいる。 そんな風に僕には思えてなりません。 僕の周囲にも、「福祉なんて興味ない」「福祉なんて自分には関係ない」と考え、福祉を遠ざけている人も

          福祉の境界、本当にそこにありますか?丨SWLAB【実践】

          地元で生きたグランドレベルを見てみたい 〜いきいきとしたまちを求めて【断想】

          地元で見たい景色のことが書かれている本に出会った。 2017年に出版された、田中元子さんの『マイパブリックとグランドレベル』(晶文社)だ。 僕もメンバーである SWLAB というプロジェクトで、今度開催するイベントのゲストの一人が田中元子さんに決まり、事前学習のために手にとったのだが、面白いのなんの。 僕自身、これまで地元滋賀で「まちづくり」に少々関わってきたのだが、田中さんのことを知らなかったのが恥ずかしい(もちろん「喫茶ランドリー」の名前くらいは知っていたが、ちゃんと

          地元で生きたグランドレベルを見てみたい 〜いきいきとしたまちを求めて【断想】

          母校には特別支援学級がなかった :僕は恵まれた環境に育ったのだろうか?【断想】

          京都教育大学附属小中学校で、特別支援学級を廃止しようという案が出されているそうです。 特別支援学級をなくして普通学級と一緒にして、インクルーシブ教育をはじめるの?と思われた方もおられるかもしれません。 残念ながら、そうではありません。 NPO法人 Swing の木ノ戸昌幸さんに、若い世代の意見も是非きかせて欲しいと言っていただき、僕も思うままに書きました。 自分の過去を振り返り、一人の人間として感じることを書いています。 「附属京都小中学校支援学級廃止撤回を求める会 事

          母校には特別支援学級がなかった :僕は恵まれた環境に育ったのだろうか?【断想】

          人は死ぬ。あなたも、僕も。【断想】

           人は死ぬ。 死は、 いつなんどき訪れてもおかしくはない。  突然の訃報だった。 それほど親しい間柄だったわけではない。お世話になっている方の弟さんで、お会いしたのは旅でお住まいのある地域を訪れた今年の3月の一度だけ。 それが最初で最後の対面となった。  別のご縁で、また来年の3月には近くを訪れる予定があり、その折にまた友人も連れてご挨拶にあがれればなんて呑気に思っていたら、昨日、悲しい知らせを耳にした。 人は死ぬ。 あなたも、僕も。 「会いたい」という思いに

          人は死ぬ。あなたも、僕も。【断想】

          隙間も意外と悪くない?【断想】

          隙間があいていると隙間風が吹く。 隙間に落ちたものはなかなか取りづらい。 心の隙間にはつけ込まれる。 隙間は困りごとを引き起こす「ない方がいいもの」。 なんとなく隙間に対して良いイメージを抱いていない人も多いかもしれない。 他方、隙間は可能性だと言う人もいる。 マーケティングの世界で、隙間=ニッチ(niche)は頻出の言葉。 ニッチ市場(隙間市場)といえば「潜在的な需要がありながら、これまで誰も手を付けずに隙間になっていたような分野や市場」のことで、ポジティブな意味合い

          隙間も意外と悪くない?【断想】

          それをやらなければ生きてゆけない ~ぼくのテーマ【断想】

          阿部謹也(1935-2006)の『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房、1988)の一節だ。  阿部といえば、『ハーメルンの笛吹き男』(1974、平凡社)や『中世の窓から』(朝日新聞社、1981)といった著作がベストセラーとなり、日本中世史が専門の網野善彦(1928-2004)などと並んで、日本における社会史ブームの火付け役と位置づけられる、著名な西洋中世社会史の学者。 その阿部が一橋大学の学生時代、ドイツ中世史の権威・上原専禄に、卒論のテーマ設定の相談にお宅を訪問した際に言

          それをやらなければ生きてゆけない ~ぼくのテーマ【断想】

          境界線とダイアローグ :対話のWSやります|越境ことはじめ【活動】

           一週間ほど前のnoteで書きましたが、筆者ざわけんの最大の関心事は「境界線」です。  境界線に考える際に、鍵になると考えている概念が幾つかあります。自己紹介で多用した「境界線の二面性」もその一つ。そして今回取り上げる新たなキーワードは、「対話(ダイアローグ)」です。  境界線とダイアローグに一体どんな繋がりが? そう思われる方も少なくないかも知れません。 ですが、世の中の境界線や線引きに実際に向き合っていく際、多くの場面でダイアローグは、重要なプロセスになるように思い

          境界線とダイアローグ :対話のWSやります|越境ことはじめ【活動】