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オーロラ・ブックストア 【ショートショート】



『あーあ、なんか面白いことないかなぁ』

職場からの帰り道、電灯がポツポツと寂しくついた商店街を歩く。


入社して3年目。仕事にも職場にも慣れた。俺の業務は毎年同じことの繰り返しだから、今年は本当に流れ作業のように過ぎ去っていった。後輩も来たことがないからずっと下っ端だし、なんというか、張り合いというものが全く無い。


『これで、いい出会いがあったら話は別なんだけど、さ』と心の中で呟く。流れ作業のくせに毎日しっかり残業があるせいで、職場以外の人間と会う時間も無い。今日は定時2時間後の退勤だったが、それすら奇跡。そのため趣味に勤しむ暇もなく、休日も起きたら夕方という有様だ。


アーケードの出口が目前に迫ったとき、その端に1軒だけ明かりが灯る店を見つけた。どうやら本屋らしい。でも、ここって少し前までは空き家だったはず……。


俺が知らないうちに、街はどんどん変わっていくーー感傷にひたり小さく溜息をつく一方、新しい店はどうも気になる。好奇心を抑えられず、ドアを押し開けたのだった。



*****

「いらっしゃいませ」
入り口のすぐそこに、1人の店員が立っていた。
「お客様、ご登録はされていますか?」
「登録?」


ロマンスグレーの髪をオールバックにし、口元に髭を蓄えている。さながら執事のような雰囲気で、この書店の制服であろう赤いエプロンが不釣り合いに見えるほどだ。


「当店では始めに会員登録をしていただき、会員様専用の時計をお作りいたしております」執事風店員は、うやうやしく説明を続ける。


「その時計は特別なつくりになっておりまして、会員様が興味を抱いたときの心拍数や感情を察知し、それが一定以上のレベルになると振動します。さらに、データが蓄積されることで好みの傾向が集約され、信号となって本へ伝播します。すると、手に取る前に本の方から光って合図をするようになるのです」


本が光って合図をするだって? 俺は店員が発した言葉が信じられず、驚きを通り越して半笑いになってしまった。前半はまだわかる。心拍数が測れる腕時計は既に一般的になっているし、これも似た構造のものなのだろう。しかし、後半はどうするのか。本全てに無線で光るライトでも埋め込むのだろうか。

「そんなこと、できるんですか?」

「ええ。最初のうちは驚かれると思いますが……。入会料はかかりませんし、せっかくのご縁です。登録されていきませんか?」


疑問は残るものの、刺激に飢えていた俺は自分でも驚くくらいあっさりと「じゃあ、お願いします」と答えていた。


*******


「なあ、あそこの商店街にある本屋、知ってるか?」

翌日の昼休憩時、俺は飯屋で落ち合った同僚の夏川に尋ねた。彼はそのガタイの良さや小麦色の肌からは想像つかないほどの読書家で、常に小説を1冊は持ち歩く男だ。知らないはずがない。


「ああ、あの風変わりなところだろ」

「やっぱり知ってたか……なんであんな面白いところ
教えてくれなかったんだよ。水臭いぞ」




あの店での体験は、ここ最近で一二を争うものだった。

あの紳士の言う通り、『いいかも』と思った本を見つけると時計が振動し始めた。さらに、それを数冊繰り返すと、手に取っただけで、つまりあらすじを見る前から震えるようになったのである。本が光るのはまだ見ていないが、それも時間の問題なのかもしれない。あれほど信じられなかったのに、いつの間にか楽しみで仕方がなくなっていた。


「だってお前、本読まないじゃん」ギクリ。確かに、見たのは漫画コーナーだけだ。でも漫画だってれっきとした本じゃないか。

「バカ、家に何冊漫画あると思ってんだよ」反論としてはズレているかもしれないが、そんなのお構いなしだ。

「まあ、それもそうか……そうだ、出会いがないと嘆くお前に、いいこと教えてあげようか」

夏川はそう言ってニヤリと笑った。



*******


「この前、あの本屋に行ったときなんだけどさ。オレはもう常連だから本が光ってくれるんだけど、いつもと違う光り方をする本に気づいたんだ」

「いつもと違うって?」

「光の色は人によって違ってて、オレは青なのね。なんだけど、そのときオレが来て反応したはずの本が薄紫色に光ったんだ」夏川は急に鞄をゴソゴソと探ったかと思うと、グレープ味のソフトキャンディのパッケージを出し、「これよりちょっと薄いくらい」と言い添えた。

「それで、何が原因だったんだよ」正直、色の詳細はどうでもよかった俺は話の続きを急かした。

「まあそう焦るなって。オレもなんだこれ、って思ったんだけど、そのとき後ろから『あっ』っていう透き通るような綺麗な声が聞こえてきたんだ」

「え?」

「振り返ると、めちゃくちゃ綺麗な女性が立ってたんだ。向こうも仕事帰りぽかったんだけど、髪もゆるくまとめた感じで、オレたちの会社にはいないタイプの美人だったな……」夏川はうっとりしたような顔で目を閉じた。


「それってもしかして、おすすめされた本……というか好みが同じだったってことかよ?」

俺は年甲斐もなく、テンションが上がっていくのを感じた。なんだその漫画の世界は。光る本に、偶然の出会い……ありえない話のコンボで目が回りそうだ。

「勘がいいな、お前」

「マジか、すげーなそれ。あれだろ、手と手が触れあって的なやつだろ」

「それの近未来バージョンってことだな」夏川はまんざらじゃなさそうな顔でうなずいている。

「なあ、俺……しばらく通うわ」

「健闘を祈る」

固い握手を交わす俺たちに、窓から陽の光が射しこんだ。



*******

それから数カ月後の木曜日。奇跡中の奇跡、定時退勤を叶えた俺はあの本屋へと急いだ。

少しでも残業が短かったら本屋に通う、という涙ぐましい努力を続け、本が黄色い光を放つようにはなっていた。最初に目の当たりにしたときは、本当だったんだと衝撃を受けた。蛍のような微かな、そしてあたたかな光が周りを包み込んでいた。

そうなってしまうと早いもので、光はどんどん強くなっていき、好みがドンピシャの作品にあたると「俺を見ろ!!」と言わんばかりの発光を見せてくれる。本と話しているような、そんな不思議な気持ちになるのだった。



しかし、夏川のように交わった色を見たことはない。しかし、今日は時間がたっぷりある。バカみたいだが、出会いじゃなくて純粋に見てみたいだけだから……と誰に言うわけでもない言い訳を心の中で繰り返した。


入店し預けていた腕時計を受け取ると、ノンストップで本棚へ急ぐ。あたりをさっと見回すと、仕事帰りのおっさん、親子連れ、おばちゃん、少年……そして、ロングスカートの若い女性。ショートカットの黒髪がライトに当たって、天使の輪ができている。夏川が会った人とは別人だが、取り合ってもしょうがないのでむしろ好都合だろう。


とはいえ、本の好みが一緒じゃないといけない。俺は女性の動きをなんとなく確認しながら、偶然同じ本棚を見にきた風を装う作戦に出た。よし、漫画コーナーに行ったぞ。しかも少年漫画だ。これは期待が持てる。

彼女が歩く方向を先回りして足を止め、そこから見える背表紙を棚の上から下まで舐め回すように見つめた。



すると、黄色い光を放つ本が現れた。「四時しいじの風」。しかしこれは予想通り。なぜならこれは俺が集めているシリーズだから。バトルものだけど結構ポップだし、彼女の好みの範囲に入る可能性も大いにある。



そのとき、待ち望んでいた光景が目に飛び込んできた。さっきまで黄色だったところに赤が混じり、オレンジ色に揺らめき始めたのである。オーロラを実際に見たことはないが、きっとこういう感じなのだろうと思うくらい、神秘に満ちていた。


意を決してゆっくりと振り返る。黒髪ショートの彼女の、驚いた顔を想像していた俺の目に写ったのは、無だった。誰もいない……どういうことだ? と思っていると下から「すみません」という声が聞こえてきた。


「お兄さんも、この作品が好きなんですか?」

そこに立っていたのは、坊ちゃん刈りの利発そうな少年だった。


*****

「……」

さっきまでのテンションから急降下した俺は、本来簡単に答えられる質問にも咄嗟に返せずにいた。まさかの少年。しかし、ある意味妥当。でも、さっきまでいなかったじゃん。

「どうしたんですか?」少年は固まってしまった俺を心配そうに見つめた。


「ああ、ごめんな。そう、これ好きでさ、全巻持ってるんだよ」俺はしゃがみ込み、引きつった笑顔を浮かべた。さっきまで下心しかなかったことが急に恥ずかしくなったのだ。少年はというと、そんな俺の胸中に気づいていないようで、うれしそうな声をあげた。


「そうなんですね! ぼくもそうなんですけど、まわりにこれを読んでいる友達がいなくて、寂しかったんです」10歳になっていないように見えるが、ものすごくしっかりしている。

「それは残念だな。君、何歳?」

「来週で9歳になります」少年はにっこり笑った。それは年齢相応のあどけない表情だった。

「へえ、しっかりしてるね」

「ありがとうございます。……あの、どのキャラクターが好きとかって聞いてもいいですか」この遠慮がちな聞き方、どこで習得したのだろう。

「そうだなぁ、わかんないかもしんないけど、やっぱ雨舟かな」

雨舟は、主人公たちがよく行く武器屋のおやっさんで、職人気質の渋い男だ。昔は主人公のように旅をして戦っていたそうで、時折その片鱗が見えるのがしびれる。ただ、確実にメインどころではないし、登場頻度も決して高くない。

「本当ですか! ぼくも雨舟が1番好きなんです!」少年は途端に目をキラキラと輝かせた。

「マジで!?」予想外の展開に俺も思わず目を見開き、少年の肩に手を置いた。こんなことってあるだろうか。あのいぶし銀キャラをトップに持ってくる人は大人でもそうそういない。9歳で、それも今会ったばかりの子と意気投合する日が来るとは誰が想像しただろう。

「じゃあさ、あのシーンわかる? 主人公たちが絶体絶命のときにいきなり出てきたところ」

「ああ! あそこ、すっごくカッコよかったですよね!」少年は両手をグーにして小刻みに上下させている。興奮している姿がかわいらしい。

「君は好きな場面ある?」

「えーっと、2年目の春のときに、主人公たちに内緒で専用武器を作っていたときの横顔ですかね」

「……あー、あそこか! めちゃくちゃ渋いところいったなぁ」派手な場面でもないし、しかも横顔というピンポイントな指定。王道のバトルシーンを挙げたのがちょっと恥ずかしくなってしまった。


*****

そこからややしばらく名シーン話に花を咲かせていたが、ふと少年が腕時計を見て申し訳無さそうな顔をした。「あっ、もうこんな時間。ごめんなさい、ぼくこれから塾なんで」

「これから塾!? 大変だなぁ……俺こそ引き止めてごめんな。がんばれよ」

「はい! ありがとうございます!」そう言ってペコリとお辞儀をし、回れ右をして歩きだした。しかし、数歩進んだところで、小走りで戻ってきた。

「ん、どうした?」俺は軽く首を傾げて問いかける。

「お兄さん、またここに来ますか?」少年は澄んだ丸い瞳を俺に向けた。


*****


俺は小走りでアーケードを駆け抜けていた。

あの少年と出会ってから、毎週木曜日は猛然と仕事を進め、無理矢理にでも定時退社をもぎ取るようになった。理由はもちろん、彼と本屋で落ち合うため。


あの日、小声とはいえ本棚の前で話し込んでしまったことを帰りに執事店員に詫びたところ、「いえいえ。ああいった出会いもこの店の良さですから。ですが、右手側に休憩スペースがございますので、そちらでお話されると良いでしょう」と微笑をたたえた。


そして今日は、意気投合したきっかけである、あの漫画の新刊発売日だ。彼はもう来ているだろうかーー


店員と挨拶をし、腕時計を受け取るやいなやあの棚へ歩きだす。すると少し遠くから、赤い光を放つ本と「気をつけ」の姿勢をした少年の姿が見えた。あの光をオレンジにすべく、俺は彼の元へゆっくりと近づいていった。



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