時間を無駄にする文章とは
大前提として、私はひねくれていますから、世の中を穿った見方で見ています。かっこよく言えば「人と違う視点をもっている」となるのでしょうが、そんなことはなく、ただただひねくれているだけです。本当に。
なので、今日もひねくれた話をします。
差し入れ、プライベートブランドだとちょっとだけ「ん?」ってなりません?
どうです、ドン引きでしょう。ひねくれている、という言葉に蓑隠れして言いたいことを言っている私の横暴っぷりがおわかりでしょう。
最後まで悪意たっぷり。悪意のトッポとは私のことです(ちなみにポッキー派です)。
いや、まずそもそも大感謝しているんですよ。差し入れをいただけるというその状況には。でもどうしても何かが引っ掛かってしまいました。
事の発端は先日の仕事です。詳しくは言えませんが30人くらいが集まる大人数の業務で結構おしゃべりしないといけない内容でした。それで主催者が飲み物を差し入れてくださったのですが、ペットボトル一人一本かとおもったら、2Lのペットボトル3本と紙コップがおかれていました。
30人で6L。一人あたり200ml。そもそもこんな計算をしてしまう自分自身が嫌にはなるのですが、「ケチケチしないでペットボトル1本ずつくれたらいいのに~」などと思ってしまったわけであります。
くわえて私は結構な水飲みなので、そんな状況であっても人目をはばからず紙コップに何度も注ぎ何度も飲み干すという大変卑しい人間なのです。そんな卑しさを世間に知らしめる必要があるのか、と疑問に思いつつも存分に緑茶のカテキンを摂取してしまった自分が情けないです。さらには、その日は場所移動することも多いスケジュールでした。差し入れの飲み物を飲むためにわざわざその休憩室まで行かないといけない、紙コップで注がないといけない、他の人と間違えないように名前を書いたり毎回捨てないといけない、等のいけない地獄。たまったもんじゃありません。
もう一度言いますが、この話は終始私に悪意があるだけです。
そしてようやく主訴に戻りますが、ただでさえ飲むのをためらわれるそのお茶がプライベートブランドっていうのはどうなのよ、というわけです。
ちょっと高級な飲み物だったら、まあわかります。さすがに悪意にまみれた私でも、大きいペットボトルで分けて飲まなければいけないと考えます。
でもプライベートブランドだったんです。逆に言えば、プライベートブランドのお茶じゃなかったらここまで色々考えなかったのではないでしょうか。
私は味音痴ですから、どんなメーカーのお茶でも基本は美味しく飲めますし大満足しますが、ただただ差し入れがプライベートブランドであったばかりにこんなチラシの裏に書くことさえふさわしくない、汚い心のままに書きなぐった文章ができてしまったのです。
ちなみにその仕事は、何杯も紙コップで飲んだお茶のせいかどうかわかりませんが、終始トイレに行きたくなってしまいました。
結局私は悪意以上に尿意にまみれた人間だったことがわかったのでした。
長々と書いてしまいましたが、できることなら、こんな自分ごと水に流したいです。尿意だけに。皆さんいかがでしたか、時間を無駄にしたでしょう。
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