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case.1 ジュズダマ

イネ科の多年草、一般的に野外に生育する雑草であるジュズダマ。名前の由来は、種実が硬く数珠玉に似ていることから。実際、タネを針と糸で繋いでブレスレットなどのように飾り物にすることもできます。
なお、ハトムギと近縁種ではありますが、ハトムギは種実がジュズダマより柔らかく割りやすいため、お茶に加工される…という違い。
かたやジュズダマは、種実が硬すぎて割れないためお茶にするには大変で、ゆえにお茶に加工されることはほぼないのです。

さて、このジュズダマ。なぜ最初のテーマに持ち出したのか。それは、この植物につけられた英名をご紹介したかったため、です。

和名ジュズダマ、英名はyob's tear 。『ヨブの涙』という名前がついています。それには、こんなストーリーがありました。正確に覚えてはいないので、うろ覚え失礼します。間違っていたら、ごめんなさい。

敬虔なキリスト教信者であったヨブ。ある時、神と悪魔でこんな会話がありました。
『深い信仰は、満たされた者だからなされるものだ。貧しい者には、深い信仰はあり得ない、試してみたら良い。』
そして悪魔は、ヨブにさまざまな不幸や試練を与えて、その信仰心を揺らがせようとしました。
多くのものを失い、どんどん貧しくなるヨブ。毎日の食事にも事欠くようになり、それでも信仰心を捨てずに清貧を生き抜くヨブ。ある日、自生していたジュズダマの種子を食べようと殻を割ろうとするも、硬すぎて割れず、食べることができませんでした。その時のヨブの流した涙をモチーフに、この名がつけられたようです。

ヨブは、どんなに苦しく悲しい時にも、その信念を失わずに信仰を続けていました。辛く悲しい時、僕はこのストーリーを思い出すのです。そして、自分にこう問うのです。
『お前の信念は、この試練を前に折れてしまうようなものなのか』と。
たったひとつ心の芯としているものすら守れずに、それでお前はお前と言い得るのか・と。

生きていれば、さまざまな不幸や苦難、それこそ生きていることすら辛くなることもあるものだと思うのです。ただそれでも、どうしても捨てたくない想いがある。諦めたくないことがある。『越えられない試練を神は与えない』と言うけれど、この辛さを越えて行けるものか…と、嘆き深い悲しみに苛まれることもある。
泣き面に蜂、そんな時にすら不幸がやってきて絶望感に塞ぎ込むこともある。

全ての人に、このストーリーが当てはまるとは僕は思いません…しかし、僕はどうしても、どうあがいても、守り抜きたい想いが確かに存在し、そのために生きていたいと、そう思い願い、生きていくことを決めたのです。

割れないジュズダマ、最後の最後でこの有り様か…と、涙する日もあるでしょう。聖人君子には、なれないかもしれない。それでも生きて、生きて、信じて、信じて、貫く生き方をしたいと僕は思うのです。

そんな名前がつけられていることをきっと知らずに、秋風に揺られるジュズダマ。その姿を思い出す時、僕はまだまだだ、と思えるのです。

その涙は、願いの象徴。ロザリオにされたり、数多の加工品が作られています。
まだまだ、これから!諦めるには、まだ早い!

さて、だいぶ話が逸れてしまいました…
長くなりましたので、いったんここまで。

雑草にも、実は意外に深いストーリーがあるものです。街を歩く時、少しばかり思いを馳せてみるのもまた良いかもしれませんよ。

それでは、またね。雑談でした。

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