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ゲンフウケイMV覚書

幸祜ちゃんも楽譜にビッシリ書き込むタイプ
鏡の前で、というのもポイント。(振り入れの確認とかもするし)(音楽系の学校でもある)
駅前の路上ライブは(よく)観るってどっかで言ってた
輝いていた人混みは都会、都心を思わせるが、人混みもない路上ライブでも、弾き語りをしている演者自身は自分とは対称的に輝いて見えてしまっている。
あと、後々登場するアカネっていう子が過去にギターを使っていた感じからも、このシーンに深みが出てる。
幸祜ちゃんはピアノを弾ける
楽器にあたり、楽譜をグシャグシャにする。
「嫌いだ」→心を救う音楽すらも嫌いだ←「好きなものまで嫌いにならなくていいんだよ。」
ゲンフウケイの作詞作曲をする過程での苦しさ、難しさのメタファーでもある(良いフレーズが浮かばず、書きたいことが落とし込めない苦しさ)
(音のない)時計
トークルームの呼称から、もう1人の女の子の名前が「アカネ」だと分かる。
あかね、茜、朱音、紅音……。幸祜ちゃんの「赤」と言えば、Abstraction’s Void。茜は染料として用いられており、茜染めと呼ばれる。
幸祜ちゃんを赤く染めたのは、「アカネ」のようなかつての音楽仲間たちが掛けてくれた言葉なのかもしれない。

アカネが「苦しくもがくことをやめた」のは、2022年3月23日。その前にある「いつ暇?近況報告会しよ!」に対しての返事を為されていないので、この頃からアオイは辛い思いをしていた可能性が高い。
2022年3月23日、アカネが「地元に帰ること」を伝え、「まだ音楽やるの?」という問いかけに対し、アオイは自身の夢を描くために「私“は“やるよ」と答えた。

しかし、約1年半後の2023年10月21日、アオイはアカネへのメッセージとして、「私も帰ろうと思う。そっちに」を送る。アオイも遂にもがくことに限界が来て、「“青“に染まっていた 海の景色はもう見えな」くなった。
アカネは少し悲しそうに、「そっか」と返信。

MV冒頭は、アオイが“現風景“から背を向け立ち退く重い足取りな姿。夢を諦め、東京(新宿)から地元に帰る。
アカネとアオイの“原風景“。
都内から車で直接地元に……という筋も考えられるが、最後は夜行バスで新宿に戻っているので、バスで移動してから身内に送り迎えしてもらったのかな、みたいな。でも、目が覚めたら地元付近でしたみたいな感じなので、一人暮らしする上で近くに親戚とかがいて、車で運んでくれたのかなぁみたいな、そういうリアルな手触り。あんな落胆した中では、ただもう寝ることでしか楽になれないよね。
でも座席似てるしどっちもバスなのかな?
ここ、このMVの中で1番好きなシーン。奥にあるアオイのバッグから、手前のアカネのバッグ、とりわけ「ギターのピンズ」にフォーカスされるのめちゃくちゃに好き。
アカネは「もがくのをやめた」けど、かつてのアオイと一緒に夢を描いていた音楽仲間という点が強調されているカットでマジで好き。
東京と比べて、彼女たちの地元は田舎にカウントされるのだろう。このなぞり方は、幸祜ちゃん自身のバックボーンを彷彿とさせる。(田舎から東京に来た身なので)
忙しなく音のなる東京と比べて、「音のない世界」ともとれるようなシーンで好き。(実際、他の音でいっぱいだと思うのだけど。)
時を経て、彼女たちの“原風景“に無二の親友が待ってくれていたの、もうこういう展開ほんとだめで。泣く。
どっちも髪型変わってるんだよね。
“原風景“、その2。アカネはバッグにつけてたピンズの通り、それっぽい楽器を持ってるね。別にアオイは幸祜ちゃんそのものではないのだけど、弦楽器は弾けない幸祜ちゃんにとっては言わば無二のパートナーでもあったんだなぁ
茜空、つまりは夕焼けに染まる彼女たち。
「アオイまだ仕事中だよね?」っていうメッセから、バイトか若しくは仕事と並立しながら夢を追ってたのかな。
「私はやる」
“回り回っても 結局は帰るんだろう“
“生き延びてまた 見たい景色のために“
これは過去に打ったメッセージだけど、再びアオイはその選択をするだろうというのを表すカットでもあるのかな。

ここ地味に、先程のカットでは見えなかったトーク場面の上にある、「レーベルついた! 嬉嬉嬉嬉」に対して返信していないのを見るに、自分が上手くいってないのに親友に先を越されてしまった劣等感とか、そもそもメンタル的に未読ということも、忙しいとかも色々あって、という感じ。
でも、私より上手くいってたのに、なんで音楽やめちゃうの。みたいな感情はあったと思う。表情を見るに嬉しくも悲しくもない、みたいな感じだったし。でも、「私はやる」と。

Cメロ~落ちサビにかけてのMVの展開は、A story born from “ゲンフウケイ“と同じシーン。
この展開から、ゲンフウケイのイントロが流れるのガチ泣きなのでコッチの動画もちゃんと見てくれ。頼む。↓
「君と出会えた事で」
MVの展開が素晴らしい落とし込みです。
アカネの言葉によって、もう一度立ち上がったアオイ。
アカネの存在、そしてかけられた言葉がなければきっと、再び東京に戻ることなど無かった。
「君と出会えた事で」、夢を諦め切れずに済んだ。
二人の間が線路で隔てられていて、お互い背を向けて歩き始める。これは別離ではない。決意であると。
1番サビにあった描写。鍵盤の前で泣くアオイ。
グシャグシャにした楽譜と、音楽と、夢。
「好きなものまで嫌いにならなくていいんだよ。」
アカネの言葉を受け取り、楽譜をとってもう一度立ち上がろうとすることを暗に示す描写。
1番Bメロでイヤホンを付ける動作。
ラスサビの展開でもバス車内でイヤホンをし、そして泣いています。恐らくどちらの状況もこの「ゲンフウケイ」を聴いていたのではないかなぁと思っています。
夢を諦めた時と、夢を再び追いかける時とでは曲の刺さり方が違うんじゃないかなって。
ていうか、ラスサビと共に泣く展開なんだけど俺らも一緒に泣いているんだが。

この曲のMVだからこその、あらかじめ用意された筋書きではありますが、「君と出会えた事で~~~」の後に差し込まれる、挫折→親友の言葉→立ち上がるという経緯(ざっくりだけど)をバスの中で思い出し、今自分が体験したことと、幸祜ちゃんが歌っている「ゲンフウケイ」の展開になり、共感して涙を流しているんじゃないかなぁって、そんなふうに思います。

「私音楽が好きだから、もう少しやってみるよ。」
恐れずに踏み出して、決意を口にする。
文字通り、踏み出している描写。
始まりと比べ、前を向き力強く歩いている。
「僕らは終われないから」
僕“ら“。
私は再び前へ踏み出したよ。君は?君はどうする?まだ、終わりたくないでしょう?って、この表情からそう受け取ってしまって、あああああああああってなったところ。
地元にある灯り。ひとつだけ。彼女たちは2人で1人だった、それほど仲が良かったのかなと。
都会の灯り。ふたつ。1つの灯りから鳥が羽ばたいた描写はアオイと受け取れるし、もう一方の灯りはアカネとも考えられる。2人でひとつだった彼女たちは、互いに別の道を歩み始める。最初に羽ばたいたのはアオイ。きっとそれに続いて、アカネも何かに励むのだろうって思う。


アカネの言葉。アオイを染めた言葉、それは「好きなものまで嫌いにならなくていいんだよ。」

青色の彼女は茜色の言葉を胸に、その言葉と混ざりあって、やがてその色はになった。つまりは、幸祜ちゃんなんだ。
だから、茜色(赤)はきっと、幸祜になる前に音楽を共にしていた仲間たち、playerの想いを表した色なんじゃないかと。思い、ました。ハイ。


全部最高なのでマジで見ろ。実写MVなの本当に嬉しい。もっと色んな人が聴いてくれると思うし、実写だからこそ伝えられるものがあると思う。今回はactor2人のやり取りなんて特に。

みんなの感想や考えもぜひ聞かせて欲しい。

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