ある密かな恋⑧
(↑前編 ある密かな恋⑦はこちら)
マナは強気でボーイッシュなところがあった。
そこは好きなポイントの一つだったのだが、屈託のない笑顔や、ほどけた髪が好きだった。
特にいつもポニーテールやツインテールなどで、髪を束ねていたことが多かったから、髪を下ろしたマナの姿と出会えた時は、何か心が踊るというか、特別なものを見ることができた気分になった。
どういう流れだったのか詳しいことは忘れたが、マナと仲の良い、サユミが終わりの会で提案をして早朝に皆で集まってランニングをすることになった時がある。
確か小学校6年の運動会前後の秋だった。
集まる場所は朝6時。
大規模な分譲マンション「エバニュー」の脇にある、三角山という鉄でできた赤茶けた三角形の遊具とも設備ともつかない建設物の前だった。
大体コンスタントに10名くらいは集まっていたと思う。
ある朝の6時前にその場所に行くと、エメラルドグリーンのパーカーを身にまとったマナが居た。
まだ誰も来ておらず2人きりの時間ができた。
その時のマナは普段あまり見られない、髪を下ろしたスタイルだった。
マナの肩先に艷やかな黒い長い髪がなびく。
その肩を抱きしめたくなる妄想に駆られた。
晩秋に入ろうとする朝の冷ややかな空気に、マナの頬は少しピンクになっていた。
いつもよりマナは大人びて映った。
「まだだれもこーへんのかなぁ。」「寒いなぁ…」
マナが僕に話しかけてくる。
返事をしながら、マナの表情と姿を吸い込むように
自分の胸は高鳴り、鼓動が音を立てていた。
平静を装うのに必死だった。
2人だけで交わす、秋の朝の静かなぴーんと張り詰めた空気の中で交わす。2人だけの会話。
ドキドキのあまり、早く誰か来てほしい。と思う反面、起き抜けのしっとりしたマナの時間を独り占めしている事実に気付き、高揚感しかなかった。
まさに宝物の時間だった。
今でもあのときの場面に巻き戻し、味わいたいと思うことがある。
回想でよくその場面を思い出す。
その時のマナの風に揺れるつややかな髪。横顔のシルエット。後姿。強く印象に残っている。
他人一人と二人きりでいることが、こんなにも嬉しいことなのか。とおもった瞬間だった。
思えばそのころはどこか毎日、髪をほどいたマナの姿に出会うことを心待ちにしていたように思う。
自分の団地の下の公園。
マナがあらわれると、僕は全身が視神経をまとったかのような感覚になった。
おろした髪を束ねて整える仕草。ふわっと広がる髪の毛の動き。結わえる仕草。後姿。
自分の瞳がシャッターになったとしたら、フラッシュ音が鳴り止まなかったことだろう。
しかし当時の僕は、どうしてもマナのもとに駆け寄り声をかける勇気が出なかった。いわゆるヘタレだった。
彼女のもとにむかい、話しかけることは罪を犯すかのような抵抗感があった。
マナに話しかけたらどう思われるんだろう。
かっこ悪く映ったらどうする。
目立っていじめられたら?
そんな悪いことばかりがよぎって足はすくんだ。
頭の中に浮かぶ会話の選択肢は、まるでスポイトの先のように狭く思えた。
(⇒続く)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?