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遺書

私は今年で40代に入る。
あと11ヶ月あるが、年始に入り40という数字の重さが近付いてくるのを感じる。
考えると、40歳ということは成人式から同じだけの年月が経つということだし、10歳の頃から4倍の年月が経つ。更に20年経つと還暦になるし、40歳を倍にすると80歳。体と頭がどこまで持つか。だが、平均寿命からして余命を強く意識する年齢である。
今までの人生を倍にすると80歳になるという現実ははっきり言って衝撃である。

特に今まで歩んできた年数を倍にすると80歳。死期に極めて近づくという事実は重たい。(それまでに事故などで死亡する可能性はもちろんあるが)

年が経るに従って時間感覚は短くなっているから、ここから死ぬまでの時間感覚は一瞬なのかもしれない。

マラソンを走っていると、ある距離までは加算(これまで何km走ったか)で思考するが、ある点から減算(あと何kmか)という思考に切り替わる。

走る距離が消えていく感覚に変わる。

これからそんな思考に切り替わる、切り替えなければないのでは。と推測したりする。

はっきり言って今まで思うような人生を送れたかというとそうではない。納得してるかというと、そうは言えない部分もたくさんある。特に20代以降はやりたいことに対して、やりたくないことも増えて、自分をうまくコントロールできない時期も多かった。
特にずっと従業員の立場なので、社会の歯車として彩りのない日々だなと思う場面も多かった。

ただ無常にもこれまで生きてきた年月を倍にすると80歳。鍛えていようが、気を付けようが特にこれからの人生は老化と向き合うことは避けられないだろう。

彩りがない、思うように生きられてない。そうやって誤魔化していても歳月は過ぎる。

やりたいことがあるなら、真剣に実現に向けて動くしかない。今の首相ではないが、検討していても永遠に実現はできない。

昨年はウクライナでの戦争が勃発し、中国、台湾の情勢も余談を許さない。

タモリは、「新しい戦前」という言葉を使った。
疫病騒動も様々な面で収まりを見せない。

日本の出生数は最低であり、高齢化と人口減少は加速する一方だ。これらの事柄から未来をシビアに捉えざるを得ない。

平均寿命もきっとあてにならないだろう。いつまで生きられるのか?そんな思いが強まる一方だ。

いったん約40年の人生を振り返り、遺書を書くとするならどうなるか?

そんなことを思った。
仮に40歳の誕生日で自分の命が果てるのなら、何に後悔し、何に感謝するのか。真剣に書いてみようと思う。

事実いつ命が果てるかはわからない。

はっきり言って、死が怖いし向き合いたくはない。あまり縁起は良いものではないと思う。

でも、一旦死ぬ想定をしたらやりたいことや、自分の苦しみなどの輪郭が見えるのではないか。

少し真剣に向き合ってみようと思う。

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