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自分史その2~少年時代

↑前編から


まとめると、まともに人の話を理解できない、協調性もない。自己顕示欲はあるが向上心や戦略を持たない。周囲の関心がない。特技としてはない。

ないない尽くしのふみあきがよく曲がりなりにも、学生生活、社会生活を営めたものである。

書いていて悲しくなるが、これがふみあきの実像である。

ところどころでは楽しい思い出はあるが、それはたまたま自分の状態がよく、周囲に関心が向く状態だっただけだろう。

それなりに恋心を持ち、近所のマナ(仮名)に恋するが、こんな性分では恋の発展などもない。

マナに対して目立ち、愛されたいが、愛されるための向上心や戦略を持たない。

マナの関心に関心を向けられないのだから。

それは、茶の間のテレビからアイドルを見る視線と同じだっただろう。


友人関係としてもあまりなく、ノブトシやコウチといった、言葉は悪いが、あまり日の当たらない、成績的にもよくない部類の人間と関わることが多かった。

これはたぶん偶然ではなく、自分より優秀な人間と関わることでコンプレックスを感じないように無意識に選択した結果なのだと思う。

さかのぼると、松中君など、付き合う相手は何となくクラスで日陰にいる人を選んでいた。

中学になると、中辻君、大社君などやはり付き合う人を選ぶ傾向は同じだったように思う。


本西君や、崎山君、黒沢君など日の当たる人間を極力避けていたように思う。

放課後は所属していた学童に行かず、撮りためた相撲中継を見る。

親の財布から時にお金を抜き取り、高カロリーのお菓子をほうばる。

ぶくぶく太り、さらに出不精になる。

一歩間違えば引きこもりになる、ギリギリのラインにいたと思う。


ただやはりそんな生き方はストレスがたまっていたのだろう。

学校ではある程度お利口に見せることを覚え、ある程度集団に合わせていたが、年少者のいる学童でそのストレスは爆発した。

特におさえつけられているわけではないが、学校で自分を上手に表現できない。人と心を通わせられない。親にも吐き出せない心のモヤモヤをぶちまけるように暴言を吐き、暴れ倒した。

それは日ごろ押さえつけられ、善い人を演じているサラリーマンが酒で悪酔いするのと全く同質だったように思う。

完全に八つ当たりで、目が合うと暴力をふるう。

指導員に暴言を吐く。ものにも当たり散らす。もう目を覆いたくなる惨状だった。

学童に帰り、制服を脱ぐことが、自分の外の仮面を外す合図だった。


でも、ふみあきがぎりぎりで持ちこたえたのは、この学童があったからだったのだと思う。

井上先生は、そんな荒れるふみあきにも決して手を挙げなかった。

根気良く諭して、ふみあきの人格を否定しなかった。

小学校4年生のときは、しこたまいじめられ、追い詰められていたふみあきの異変に最初に気づいたのがこの井上先生だった。

心を開かずに、隠そうとするふみあきに涙ながらに訴え、井上先生は「学校にいじめっ子に何をされているか言いに行こう」とまるで保護者のように、実際に話をしに行ってくれた。

いじめがやむきっかけを生んだのは、この井上先生のおかげだったし、井上先生がいなかったらもしかするとふみあきは命を絶っていたのかもしれない。


だが、それでも改心しなかったのがふみあきだった。

人に優しくなれない。素直になれない。

そんな恩があった後の、小5、小6でも相変わらず反抗的な態度をとり続けた。


やり場のないストレスがあったにせよ、本当にひどいことをふみあきはしていたと思う。


きわめつけは、学童の小学校卒業時の「学童送別会ぶちこわし事件」だろう。

同級生のユキマサ君は、小6まで学童に足を運んでおり、下級生から慕われていた。面倒見もとても良い奴だった。

対するふみあきは学童に行く頻度も少なく、前述のように行くたびに暴れる問題児だった。


そんなユキマサ君を送別しようと、学童では盛大なお別れ会が開催されることになった。

いわゆる特別扱いだが、それまでのユキマサ君の学童への貢献度から考えると当然であった。

しかし、そのユキマサ君の特別待遇をひがんだふみあきはその会に乱入し、「俺にも祝わんかい」と言ったことを大声で延々と喚きだす。

見かねた他の保護者に外に出されるのであるが、しつこく会場に入り、ユキマサ君への出し物が催されている最中も喚き散らす。

もう誰にも手がつけられない状態にと、ヒートアップしたのだ。

中学校に入学直前の小学校6年生がである。駄々っ子同然に喚き、せっかくの感動的な場を台無しにしてしまったのである。

ある民族で、怒りに火が付いたら自制が全く効かない状況が生じることを「火病」と表現することがあるそうだが、そのときのふみあきはそれを確信されるくらい、「火病」そのものであっただろう。

泣いてステージ前で喚く、ふみあきの写真が撮影されていた。

同時期にふみあきは、マナという同級生の女の子を好きになっていたが、こんな情けないガキがマナに似合うはずがない。


人から慕われることもなく、何か特技で注目を浴びることもなく、勉強ができるわけでもなく、イケメンというわけでもなく、気さくなわけでもなく。


修学旅行時に「好きな人と一緒の班になっていいよ」というときにぱっと組む人がいないのも当然だった。

「自分の存在が何なのかさえ、わからず震えている」

その出口がわからずもがく日々が長くふみあきに続くことになる。


ただそんな片手落ちどころか、両手両足落ちの自分に対して、仲良くしてくれる女の子がいたのは意外だった。

大家さんという同級生がいた。

彼女はマナと同じく、小5、6のときに同じクラスになった。

わりとというか、ふみあきは心を閉ざすことが多かったので、ふみあきは男子が外でするドッジボールには参加せずに休み時間も教室で過ごすことも多かった。

教室の後ろには、伝記や古事記などたくさんの本が並んでいた。

大家さんもインドア派で同じように休み時間を教室で過ごすことが多かった。

彼女は典型的な美人とは言えなかったが、おっとりとしていて優しい雰囲気をまとっていた。

本当にとりとめのない話をしているうちに、ふみあきと大家さんはそれとなく仲良くなった。


ふみあきは大家さんから手紙をもらったこともある。母親がたまたまそれを見て「大家さん あんたのこと好きなんちゃう」と茶化してきたが、それからもふみあきはそんなに大家さんのことを意識することはなかった。

それとなく自然に大家さんとの密な関係は解消したのであるが、中学校の卒業文集の寄せ書きに

「ふみあきの走る姿なかなかかっこよかったよ」と書いてあった。

何かずっと見てくれていたんだなと、ふみあきは嬉しかったことを思い出す。

うまくかみ合っていなかったころのふみあきを好いてくれた数少ない一人であったことは相違なさそうである。


冒頭にふみあきは欲がなかった。と書いたが、もしかすると実はその逆だったのかもしれない。

欲を持つと勝ちたくなるし、支配したくなるから、負けると悔しいから欲から自分を遠ざけるようにして生きていただけなのかもしれない。

本当はすべてを思い通りにしたい欲だらけの人間なのかも。

少しわからなくなってくる。


小学校時代。マナ、大家さんとあわせて忘れることができないのは、佐山さんだろう。

佐山さんはヤマサと呼ばれていた。

片足が不自由で、足を少し引きずるようにして生活していた。若干麻痺のようなところもあったのだろう。

発話も若干不自由だった。

佐山さんはコミュニケーションは十分できるのだが、口が自分の思うように開閉できていない感じだった。

担任は川西先生。佐山さんに対しては3年生のころからの持ち上がりで、彼女に対して特別に目をかけていた。

それでも彼女に対していじめが発生してしまうのは残酷なところである。

ふみあきも自分自身がひどいいじめを受けていたのだから、思いやりをもっと持ってもよかったはずなのに、ヤマサに対してひどい仕打ちをしてしまう。


佐山さんの給食の場面。口が思うように開閉できない弊害は食べるときにも表れた。

彼女は食べるときに非常に大きな「くちゃくちゃ」という咀嚼音を放って食べていた。

その彼女にふみあきは「くちゃくちゃうるさい」と言い放ったのだ。

ことあるごとにしつこくそれを指摘し、謝らせ、涙を流させる。


鬼ごっこをすると、ヤマサを狙い撃ちにする。

彼女は走ることもできたが、やはり足が不自由なので速くは走れない。

本当に酷いことをした。

弟のかずとはクラス内の弱者を助ける正義漢だったが、ふみあきは違った。

自分より弱いものを狙い、たたく卑屈さや、それに快感を覚えるときがあったのだ。


思えばふみあきは人付き合いを密にしなかったがために、自分のモデルにしたい人物がいなかった。

例えば弟のかずとが、同学年の人間を比較、競合として意識し成長していったのに対し、ふみあきはそんな芯が固まっていないところがあった。だから悪にも簡単に染まってしまう。

ふみあきには「自分の型」がなかったのである。

続く


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