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風に吹かれて飄々と

「スーツお似合いですね」

そう言うと、上司は嬉しそうだった。彼女より一回りも歳が上だったから気兼ねなく話しかけられた。思ってもみなかったことに、その上司から食事に誘われた。居心地がなんとなくよくて、次に誘われたデートにも行き、付き合うことになった。暫くすると子供を授かり、結婚をした。その後、夫の実家で親と同居することになると、男女としての交わりは薄れ、家族の中に溶け込んでいった。


「コンサートに行ってくるねー」

推し活と言えば自由になった。会場で彼と待ち合わせ、二人だけのオフ会。初めて会ったが、長い間ファンサイトの中で話をしていたのでコンサートより盛り上がった。このときの出会いから9年間関係が続いた。体が不自由なため未婚の彼。彼女の魅力に惹かれ、既婚者であっても生涯の伴侶だと言う。両親に会って欲しいと彼に言われ、家族ぐるみの不倫関係が続いた。叶わないことだとわかっているからこそ今も燃え続けている。


「泡を立てないようにして注ぐのね?」

息が詰まる実家暮らしから離れたくてパートに出た。仕事帰りに、寄るようになったバー。気が付いたら毎日のように訪れていた。仲良くなったマスターに頼み込み、お店の手伝いをさせてもらうようになった。好きなことを仕事にしたいと思って真剣にマスターの指示を仰いだ。彼女はお酒に詳しくなり、マスターは彼女に詳しくなった。営業中、お客さんと仲良く話をしてると倉庫に呼ばれるようになった。自分の所有物だと言わんばかりにスカートをめくりショーツをずらされ挿れられた。男はなぜ女が望んでないことに気が付かないのだろうか。


「妻と別れて添い遂げたい?なんでやねん」

SNSで話の馬があった男性がいた。たくさんの人たちの中から唯一出会った特別感。遠い場所にいても会いたくなった。会うと手放したくない感覚に陥った。一度出会うと彼女は何度も男性に会うために地方へ通った。その燃え上がるような二人の関係を男性は真剣に捉えた。お互いに離婚して一つになろうと言い始めて離婚届を準備したという。彼女の中で一気に熱が冷めた。一度ボタンを掛け違うとなかなか元には戻せなかった。


「そういうことはしない約束でしょ」

絡んできた手を彼女は振りほどいた。休憩時間に添い寝して欲しいというオーナーの願いは聞いてあげた。オーナーはバーや飲食業のことをたくさん教えてくれた。以前通っていたバーから離れたとき、親身になってくれたのがショットバーのオーナーだった。優しさに触れるうちに男女の関係にもなってしまっていたが、いつまでも仲良くしていきたいと相談して関係を解消した。いまのところは。


「うふふ、ヒ・ミ・ツ」

デニムのワークパンツが似合う青年がしつこくオーナーとの関係を聞いてきた。彼女はお客として飲みに来ても、忙しいときはカウンターの中に入って接客した。仲良くオーナーと話をしている様子は、先日彼女が体を許した青年にとって、嫉妬でしかなかった。このあとねちねちとしたメッセージが彼女に来るだろう。曖昧な関係を楽しむのが若いところの良さだと思ったのにと彼女は後悔した。


「あれ?こんなところでなにしてるの?」

男に声をかけて、彼女は自転車を止めた。バーの常連だった男は遠くに引っ越したと聞いていた。話を聞くと、飲みなれた街までわざわざ来たそうだ。終電もなくなったのでふらふらと街をぶらついていた。ここで会ったのも縁だから、これから一緒に朝まで飲み明かそうと誘われた。

「明日用事があるの。だから一杯だけね。」

結局、三杯飲んだ。飲みつぶれた男を店に置いて彼女は帰った。

🍺

平日の午後のカフェは混雑していた。静かな窓際の席に座れて安堵した時、彼女がやってきた。前髪が目に覆いかぶさりヴェールのように見え、ミステリアスな雰囲気を感じた。ハスキーな声、昨夜追加で三杯飲んだせいで焼けてしまったのだろう。会話のところどころで笑うことを思い出したかのよう振る舞う姿が無邪気で面白かった。身体は省エネモード、思考はアルコールを欲して乾いているが、時にさえわたって話が弾む。ゆるゆると時間が過ぎていくのが心地よかった。

彼女は飄々としていた。いままでもこれからもそうだろう。お酒は、彼女から切り離せないもののように感じた。芳醇なワインも、苦いビールも、辛い日本酒も、甘美なウイスキーも、どんなお酒も愛してやまない。いろいろなタイプにそれぞれの良さがある。古いお酒や、新しいお酒、飲みやすいものから癖が強いものも。様々な良さを知るたびにまた違うものも味わいたくなる。風に吹かれてまた飲みに行きたくなる。


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