見出し画像

予想もしないできごと

ひとりで自宅で作業している際に、ふと我に返るような瞬間がある。そしてしみじみこう思うのだ。

「まさか自分が生きている間に、今みたいな状況に陥るなんて一ミリも考えたことなかったな」と。

ここでいう「今みたいな状況」とは、もちろんコロナ禍のことなんだけれど、それ以外にもそう感じた瞬間がこれまでに何度かあった。

こんな風に予想もしないことが起こりうるから人生は不思議かつ面白いんだろうけど、残念ながらいいことばかりではない。

これがまだ自分が原因で引き起こされた状況だったとしたら、手の打ちようがあるし、どれほど困難な状況に陥ったとしても軌道修正が効くはずだ。ただ、これが自分の力の及ばないところで進行しているとなると、状況を変えるのは非常に困難なことになる。できることと言えば、今ある状況を見極めるために情報を集め、極力危険を回避することくらいだろうか。こんな風にできることも限られてくるわけだ。

それでも何もせずに手をこまねいているよりは、何か現状を打破するための方法を考えた方がよさそうではある。

今、たまたま以前ロシア語を勉強していたときに単語帳として使っていたnoteを見つけた。そして、後ろの方のページにはこんなことが記されていた。

あせらなくても、そうこうしているうちに結果(あるいはタイミング)が出るんじゃないか、と思う。

これを書いたのが28才の時。モスクワの病院で半年ほどインターンをしてベルリンに戻ってきた頃に書き留めていたらしい。あの頃も、それはもう色んなできごとが一度にたくさん身の回りで起こった。そして、その時に迷いつつも自分に言い聞かせるように「あせらなくてもいい」と書いたのだろう。

そういうところは、今でもほとんど変わっていない。自分の力だけではどうにもならないことが目の前にある時は、無理をする必要はない。そのうちに自然と結果は出るようになっているのだから。

大きな流れのようなものに無理に抗おうとすると眠れなくなったり、心と体のバランスを崩したりしがちだ。そういう時はヒントが降りてくるまで、とことん自分に向き合えばいいのだと思う。それは例えば、気持ちや思考の整理をするためにnoteに書くことだったりもする。

そういうわけで、今日もあれこれ考えながら書けることを綴っている。モスクワにいた時に、日々の日記をつけていなかったのは非常に残念なことだ。あの日一体何を感じ、何を思ったのか。断片的に記憶には残っているが、鮮明に思い出す術はもうないのだから。


Photo by Martijn Baudoin on Unsplash

サポートは今後の取材費や本の制作費などに当てさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします!