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また非日常になるのか

いつまでも続くはずの日常生活がある日を境に非日常になる、というのを経験した2020年の春。ベルリンで初めてのロックダウンが施行された時期だ。日常生活ってこんなふうに呆気なく崩れ去ってしまうものなのか、と思わせるできことが続いた。

あれから2年弱。まさか起こらないだろう、とどこかで思い込もうとしていた数日前。それが一瞬で崩れ去った2022年の2月24日。今日の朝から一気に事態が急変した。

ほんとどうかしている。

一体、これ以上何を我慢しろというのだろう。

各国が疲労しているこのタイミングを狙ったシナリオ通りの計画だったのか。

突然、起こったことのように感じるけれど、実はもうすでに前から少しずつ進んでいたことなのかもしれない。専門家の一言が心に響く。「ここまでの急展開は驚くべきことではありますが、残念ながら起こり得ることだという認識でいました。」

その道にいる人にとっては、想定内のできことだったわけだ。

たまたま数日前に1991年に作曲された「1991年からの警告」という安全地帯の曲を聴いていて「これって全くもって今の状況に重なるじゃないか」と思っていた。

1991年といえば、ドイツが再統一した年でもある。1989年のベルリンの壁崩壊前に作られた曲ではない。冷戦がようやく終わり、これから、というタイミングでなぜあの内容のテキストで曲が発表されたのだろう。

まだ終わりではない、気を抜くな。という警告だったのだろうか。確かにタイトルも「警告」となっている。何度聴いても不思議な曲だ。

今年こそ、少しは状況がマシになるのではとどこかで期待していた。そんなわずかな希望が微塵に挫かれた。自分が生きている間にこんなことが起こるとは予想だにしなかった。2020年に毎日noteを書き始めたときにもそんな気持ちでいたはずだ。

一体いつまで自分の心を平静に保つために、毎日noteを書き続けなければならないような生活が続くのだろう。

モスクワの古い友人が今、たまたまキエフにいるようだ。モスクワにいる友人たちもみんな堪え難いことだ、とフェースブックにそれぞれの想いを綴っていた。ロシアに住んでいる多くの人々もこんな状況を望んではいないはずなのだ。

「プーチンの戦争だ。」ドイツのショルツ首相も今回の侵攻について彼が始めた彼の戦争だ、と何度も強調していた。

お願いだから、もうこれ以上はやめてくれないかな。


Photo by Max Kukurudziak on Unsplash



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