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私家版 ロックかるた 「そ」

どうしても欲しくて、でも売っていない。だから、自分で作ってしまった「私家版 ロックかるた ブリティッシュ・ロック編」。
世界にたった1セット。

そんな場所では公演しない。
人種差別は許しません。

労働者階級出身でしたが、中流階級のミミおばさんに育てられたという、ちょっとねじれたジョン以外は、れっきとした労働者階級出身のビートルズ。
イギリス社会の階級制を軽々と飛び越える自由な精神が若者の心をとらえました。
ジョンの有名なジョーク、
「安い席の方は手拍手をお願いします。その他の方は、宝石をジャラジャラ鳴らしてください」
は、これを反映したものです。
そして1964年、アメリカ上陸。
公民法ができたばかりのアメリカには、まだまだひどい黒人差別がはびこっていました(今もそうですが)。
このアメリカツアーで、その現実を目の当たりにします。
南部フロリダ州ジャクソンビルでのコンサート。
座席が黒人側と白人側にはっきりと分けられていることを事前に知り、ビートルズは演奏を拒否しました。
ジャクソンビルの地元新聞「フロリダ・タイムズ・ユニオン」は、
「モップトップのイギリス人が、人種の問題に口を出すな」
と社説で反発します。
これに対して、ジョンは、
「われわれは人種隔離された観客の前で演奏することはない。出演料を失うほうがましだ」
と答えます。
ポール・マッカートニーはのちのインタビューで、
「観客を人種別で分けられているのは間違っていると感じた。『僕たちはやらない!』と言ったんだ」
と語っています。
主催者はしかたなく、その区別を撤廃します。その後の公演契約書には観客席を人種で分けないことが条文に入れられることになりました。

翌年1965年8月のシェイスタジアムのコンサートは「史上初のスタジアムコンサート」として伝説となっています。
映画『EIGHT DAYS A WEEK -The Touring Years』は、その模様とそれを見た人々のコメントなどで構成されています。
登場人物の一人がウーピー・ゴールドバーグ。
彼女は母親に連れられて、このコンサートを体験します。彼女はインタビューでこう答えます。
「『ビートルズが好き』という同じ思いだけで人種や国や差別までも、すべてがふっ飛び、世界中の若者を『自由』という気持ちでひとつにした」

ビートルズはイギリスでは社会階級を乗り越え、アメリカでは人種の壁をも乗り越えようとしたのです。

(つづく)

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