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ポールには友達がいない ~残念なビートルズ(3)「わけのわからない指示だけ残して、いなくなってしまうジョン」

残念というわけではないのですが、「え? それって。あー、ちょっと、待ってちょうだい」と言いたくなるのがジョンのレコーディング。
「さあ、新しいアルバム作成開始だ!」というとき、まず最初にジョンの曲からレコーディングというのが、当時のビートルズのお作法だったみたいです。
ジョンがどんな曲を持って来るか、どんなアレンジにするか、プロデューサー、ジョージ・マーティンとのやり取りが、そのアルバムの基本コンセプトを方向付けます。
1966年4月6日、傑作アルバム「リボルバー」の録音は、ジョンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」から始まりました。
本作からレコーディング・エンジニアは新人のジェフ・エメリックが担当。前任ノーマン・スミスの助手からの昇格です。
ジョンはこの曲のアレンジを「数千人ものチベットの僧侶が山上で経典を唱えているような感じにしたい」とマーティンに提案します。 なんだか、よくわかりません。

この山上からチベット僧の声明しょうみょうが聞こえるようなイメージ?(チベット)

ジョンはこう言い残して、「あとはよろしく」とばかりにスタジオを出て行ってしまいます。
え? ちょっと待ってください、ですよね。
エメリックはその意図を汲み、ボーカルをハモンドオルガン用のレズリースピーカーを使ってアレンジし、あの独特の雰囲気を出すことに成功します。
ワーンワーンとこだまするような声は、レズリースピーカーの持つドップラー効果によるものです。
結局、最後の仕上げは人任せでしたが、ジョンはその出来に満足して涼しい顔。
このサイケなサウンドがリボルバーの進むべき道を指し示していました。

ちなみに、前作「ラバー・ソウル」でのレコーディングは「Run For Your Life」「ノルウェーの森」という、やはりジョン・レノンの作品でスタート。
思索にあふれ、サウンドも「ヘルプ!」までの、いわゆるリヴァプール・サウンドとはまったく異なる音楽世界に彼らが踏み出したことを明確に宣言するものになっています。
この最初のレコーディングで「ラバー・ソウル」の作品世界の方向性は決定付けられました。

ところで、名曲「イン・マイ・ライフ」でのピアノの間奏もマーティンに任せっきり。ここでも倍速を使った新しいレコーディング・アイデアが生まれます。

それにしても、「あとはよろしく」は、天才&気分屋のジョン・レノンの面目躍如ですね。
しかし、任される方も、かなり困りますよね。


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