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私家版 ロックかるた 「と」

どうしても欲しくて、でも売っていない。だから、自分で作ってしまった「私家版 ロックかるた ブリティッシュ・ロック編」。
世界にたった1セット。

ドラマー不在で解散です。
替えがきかないツェッペリン。

ローリング・ストーン誌選出「最も偉大なドラマー」、第1位。
米国uDiscovermusic選出、最高のドラマー、第1位。
米国ギブソン社のサイト選出の「史上最高のロック・ドラマー×10人」、第1位。

とにかく、オールタイムのランキングになったら、いつでも第1位なのがジョン・ボーナム(以下、ボンゾ)。
日本のドラマーとか、なんとか系とか、最近のとか、なんか制限をつけないと、いつも1位はボンゾ。
そんなボンゾが、泥酔して寝ているうちにゲロをのどに詰まらせて死んでしまいます。
1980年9月25日。享年、32歳。
飲みすぎなんですよ、本当に。
新作アルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』が出て、まだまだ実験と進化を続けるツェッペリンのすごさに改めて感じ入っていたときですよ。
久しぶりに北米ツアーを始めようというときですよ。
日本には来てくれないよなー、なんて考えていましたが、ほんのちょっとだけは期待していたのですよ。
小さな希望も失われました。
子煩悩で家族思いのボンゾですから、誰より悔しいのはボンゾ自身でしょうけど、それにしても、お酒の飲みすぎだなんて。
1980年12月4日、レッド・ツェッペリンは以下の声明を発表します。

「我々の敬愛すべき友人の死に際し、彼の遺族への深い哀悼の意を表わすとともに、我々と我々のマネージャーとで共有していた調和と連帯を鑑みた結果、今後活動を続けていくことは不可能という結論に達したことを、ここに表明いたします」

ローリングストーン誌が「70年代の最大のバンド」と呼ぶレッド・ツェッペリン、ここに解散です。
コージー・パウエルなど、代替メンバーの噂は幾つも流れましたが、どうしても「第1位」の代わりはいないのです。
無理ってものです。
失われたものは戻らない。
彼のプレゼンス(存在)の欠如は、何をもってしても埋められない。

この声明の直後ということになります。
1980年12月8日(日本時間12月9日)、
ジョン・レノンが凶弾に倒れます。
元に戻らないのです。

(つづく)

「アキレス最後の戦い(Achilles Last Stand)」のドラムは凄いと思う。

レッド・ツェッペリン最後のオリジナル・アルバム。


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