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ご機嫌なにんげんで在りたい

不機嫌でいることは疲れる。

負の感情が渦巻いているのを必死で耐えようとしてるにんげんは、ムスッとしていていかにも「不機嫌です」オーラが出てしまう。

不機嫌でいることは本人だけでなく、まわりの人も巻き込んでしまう場合がある。

まるで不機嫌が伝染したかのように、不機嫌な人に対してムッとしてしまう。

それは普通の反応なんだろうけど、ムッとした気持ちを抱え続けているのもしんどいものだ。

不機嫌を撒き散らしてしまう人は、もしかしたら「察してほしい」気持ちが強いのかもしれない。

「言わなくても態度で伝わってほしい」そこに含まれる気持ちは、大事なところは伝わらず、結局のところ「不機嫌」な状態であることばかりが相手に伝わってしまう。

察してほしい気持ちを置き去りに、不機嫌さばかりが先行してしまうのは哀しいところだ。

言いたいことが全て言えてしまったら、どんなにスッキリするだろう。

言わなくても本当の気持ちが伝わったら、どんなに楽なことだろう。

にんげんは言葉を発することができるけど、必ずしも気持ちを言葉にして伝えられるとは限らない。

それが稀に、態度として現れてしまうのだろうけど。

残念ながら、不機嫌なにんげんのまわりに、ご機嫌なにんげんは集まらない。

ご機嫌なにんげんのまわりには、ご機嫌なにんげんが集まるものだから。

中には不機嫌を抱えてる人もいるかもしれないけど、本人に「ご機嫌でいたい」という気持ちがあれば、ふっと機嫌は上昇していく。

自分の機嫌に振り回されたくないなら、誰かの機嫌に振り回されてみるのもいい。振り回される相手がご機嫌さんだったら、もっといい。

ご機嫌なにんげんのまわりは、どうしてか居心地が良いから。

ご機嫌なにんげんの口からは、温度のある言葉がぽんぽん出てくる。

誰かを貶めるような言葉じゃなくて。
自分を責めるような言葉でもなくて。

過去を省みる言葉じゃなくて。
未来を悲観する言葉でもなくて。

そういった言葉たちは、ご機嫌さんの口からはあまり出てこない。

だからこそ、励まされるのだろう。
だからこそ、どんどん耳を傾けたくなるのだろう。

不機嫌が伝染するように、ご機嫌さんも伝染する。

にんげんが、機嫌をコントロールできたらどんなにいいことかと思う。

でも、感情を持っている限り、自分の機嫌をキチッとコントロール仕切るのは難しい。

だからこそ、たまには自分の機嫌の操縦を手放してもいい。

その役割は、ご機嫌な誰かに託してみてもいい。

いつもご機嫌でいることは難しいかもしれないけど、なるべくであれば「ご機嫌なにんげん」で在りたい。

だから、私は今日もご機嫌な人と言葉を交わす。

ご機嫌な自分になって、機嫌のコントロールに戸惑う誰かの心をふっと軽くできるように。

なにより、自分がご機嫌なにんげんでいるために。

#エッセイ #コラム #考えてること #言葉

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