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池袋が怖い

どこかの特定の街や駅、「都会」や「田舎」について杜撰な評価をしたくはないが、これだけは言いたい。わたしは池袋が怖い。異論は認めるが、とりあえず今のところの恐怖についての備忘録とする。

苦手な場所はたくさんある。人が多い場所は疲れるから都会(とくくるのも大雑把だけれど)はイヤと思う時が多々あるし、繁華街は臭いからイヤ、田舎すぎて公共交通機関が全然ないのも閉じ込められているようでイヤ。
でもこれらは、その街のもつ特定の性質に対して、「イヤだ!」と感じているだけで、その街のあらゆるところまで全てがイヤな訳ではない。例えば新宿駅なんかは、皆スマホを見ながら歩いており誰も前を見ていないので、めちゃくちゃ人にぶつかるのが大変に不快だが、全部が嫌いなわけではない。

でも池袋だけは違う。池袋がどうしても、怖い。



池袋に行く機会が、最近あった。

そのとき、わたしは池袋に赴くのが久しぶりで、池袋が怖いことを忘れかけていた。が、駅構内から出た瞬間、イヤさが襲いかかってきた。

池袋にきたほとんどの人間がサンシャインシティの方向に向かうと言っても過言ではないと思っている。わたしもその時、例に漏れず、資格試験のためにそちらの方向に向かわなければならなかったので、皆が通るあの駅出口から地上へ出た。

駅出口から少し歩くと、左前にバーガーショップ、右側にカフェがある、あの横断歩道にたどり着く。サンシャインシティへ向かう、常に歩行者天国のようになっているあの道(サンシャイン通りと言うらしい)の、はじまりである。わたしはこの場所を、一番恐怖している。

その横断歩道で、よく周りを見てほしい。まず奇妙なのは、サンシャインシティの方向に歩く人間と、駅の方向に戻る人間の比率が明らかに偏っていることだ。普通の道の横断歩道は、向こうからとこちらからの人数はほぼ同数なのに対し、その横断歩道は、明らかにサンシャインシティに向かう人間の方が多い。

そしてもう一箇所、その時点で奇妙なのは、そこにいる人々の誰もが似通った風貌をしていることだ。
大衆なんてそんなもの、といわれてしまえばそれまでだが、他の街にいる人々の風貌のばらつきと、池袋にいる人々の風貌のばらつきが、同様だとはとても思えないのだ。

そしてサンシャイン通り沿いの店だが、ニッチなショップ…たとえば、べらぼうに大きなアニメショップだとか、コンカフェだとか、他にも色々…そういうお店がちらほら見える。そういう店たちは、「その街に来る理由になる店」だろう。その店を利用したいから、わざわざ池袋まで来る、という人を呼び寄せる。そういう店たちはどこの街にもあるもので、池袋にもあって当然である。
問題はそうでない店、「どこにでもある店」である。ゲーセン、ユニクロ、ドラッグストア、チェーンの飲食店…そういう店は、池袋でなくても利用できる店であり、そのために池袋に来るわけではない。
だのになぜだろう、サンシャイン通りで賑わっているのは、いつも「どこにでもある店」のように、見える。

コピー&ペーストしたように同じ風貌の人々が、町に向かってゆき、そこから出てこない。そして何をしているかと思えば、「どこにでもある店」が賑わいを見せている。
「池袋に行けば一日中娯楽を摂取できるだろう」とインスタントに考えて(もしくはもはや考えることすらしなくなって)、なんの計画も立てずにそこへ向かい、どこにでもある店にたむろする…そんな人々に見えるのだ。そんな人々の精神性にも恐怖しているし、そんな人々が集まっていく街としての池袋も、わたしはどうしようもなく怖い。
そんな人々の思考さえも、池袋という街の、無計画に溢れかえった娯楽によって、毒されたか催眠されたもののように感じ始める。

池袋に行くたび、街がぱっくりと口を開けて、人々を待ち構えているような気がしてならないのだ、わたしは。似通った風貌の人々が、手元の端末に夢中になりながら、ぶら下げられた娯楽の幻影に吸い寄せられる。そしてあの横断歩道を渡り、池袋という、街の見た目をした怪物にのみこまれてゆく。そんな気がするのだ。どうしても。

だからわたしは池袋が怖い。この街は人を食べるから。


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