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奈良の古代を巡る~破壊されたことで唯一無二になった古墳

6世紀頃に作られたとされます。
巨石30個を積み上げて造られた石室古墳で、その規模は日本最大級。

明日香村 石舞台古墳 2024年4月16日撮影

皆様がイメージする古墳は、緑の草に覆われたこんもりした小山かなと思います。
↓こちらは卑弥呼の墓とされる(奈良が邪馬台国説にで)箸墓古墳。
こんな感じで緑の小山と周辺を守るための堀や池があるイメージ。

桜井市 箸墓古墳 2024年4月17日撮影

こちらの石舞台古墳も、もともとはそのような小山状だったのですが。石室を覆っていた盛土が失われて、露出しているのです。
その石室の天井石の上面が平らなため、まるで舞台のように見えるから石舞台と呼ばれています。

↓平らだし、確かに舞台のように広くて、周囲より結構高い場所となる。

石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影

墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠が巡っています(今はお水はありません)
石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6m。石の総重量は推定2,300t、古墳最大の巨岩である天井石は、南側が約77t、北側約64tとのこと。
この付近に蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓ではないかとの説が有力とされます。
「大化の改新(乙巳の変)」で殺された蘇我入鹿の祖父に当たる人ですね。

↓馬子が建てた日本初のお寺の飛鳥寺にある入鹿の首塚。この辺りは蘇我一族の領土でもあった。

明日香村 飛鳥寺 2024年4月16日撮影

石室が露出しているのは、蘇我一族に対する反発のためとも言われています。

憎しみから古墳を破壊したことで,唯一無二感が出て、余計に目立ってしまったのだから、壊した側の人たちは、ムカついているかもしれないですね。
でも、どんなことがあったにせよ、誰かのお墓を破壊する行為そのものが野蛮だと私は思います。
お墓であるはずの古墳が剥き出しになり、石室にまで太陽の光が入り込み、とても明るいのが不思議な気持ちになります。


本物の古墳の中に入る機会はなかなかないので、とてもテンションが上がりました

石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影
石舞台古墳2024年4月16日撮影

飛鳥王国パスポート。石舞台古墳の駐車場でも購入できます

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